「倍々」思考で世界を振り返ってみる

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さらに10倍の年数を考えると、2000年ほど前にはギリシャやローマが栄えていた。アルファベットの発明は3500年ほど前だが、メディア史的には文字ができて、歴史を記述することのできる四大文明と呼ばれるものがすでにあった。


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次にまた10倍すると2万年ほど前になるが、この頃に人類は話し言葉を持ったとされる。アルタミラやラスコーの洞窟に絵を描き、原始的な石器から地域によってさまざまなバリエーションを持つ道具も作られ、次第に狩猟採集から農耕による定住化が進んだ。

20万年ほど前までには人間と動物を区別する基準として使われる、火が利用されていたと考えられ、さらに200~300万年前には二足歩行して猿人類から分離した人類の祖先が石器を使うようになった。

この10倍の思考法で見えてくる過去は、ちょうど人類の発展の大きな歴史的ターニングポイントにうまく重なっている。人間の進歩もこうした指数関数的な性質を持っているのだろうか? 古くなればなるほど年代は曖昧になり、こうした比喩は厳密性には欠けるものの、人類の歴史の大きなステージの変化が起きていることを、なんとなくイメージできるだろう。

しかしよく考えてみると、われわれが現在享受している生活スタイルの基礎は19世紀末の国による義務教育や病院制度の整備によってできたわけで、日本でも明治維新以降の富国強兵で近代化が始まった。

義務教育でリテラシーが向上し、誰もが読み書きできるようになって新聞などのマスメディアが成立する基盤が整った。活版印刷が15世紀中盤にできて大量に本が出版され、文字に書かれた法律などが国家の基礎になり、科学的思考が芽生えて産業革命に結実したわけだが、その元になる文字を人間が使うようになって、たった数千年しか経っていない。それはかなり長い期間と感じられるかもしれないが、実は人類が猿から分かれてからの期間の1000分の1のレベルの長さでしかない。

こうして見ると、われわれの考える文明などというものも、進化の最後の部分に現れた徒花のようなものに思えてくる。脳は数万年前に生じた話し言葉はある程度自然に覚えるが、いまだに読み書きは教育しないと修得できない。才能があるのに失読症や識字障害と呼ばれるディスレクシアをかかえている人もまだ多く、脳が生理学的にはまだそこまで追いついていないのではないかとも思える。
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文=服部 桂

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