「未来を守る」のをやめた。小橋賢児が俳優から転身しても変わらないこと

The Human Miracle株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター小橋賢児

世界最大のミュージックフェス「ULTRA MUSIC FESTIVAL」や、花火大会を現代的なエンターテイメントに進化させた「STAR ISLAND」を手がけた小橋賢児さんは、クリエイティブディレクターとして華々しい実績を誇る。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、エンタメ業界にとっては苦しい状況となった2020年。そんな年に小橋さんは、ノンアルコールバー「0%」や会員制のリトリートラウンジ「UNBORN」をオープンし、自分の心と向き合う空間を生み出した。

次々と事業を手がける彼だが、かつては俳優としても活躍していた。8歳で芸能界入りし、ドラマ『ちゅらさん』や映画『スワロウテイル』などヒット作に出演するほど人気であったにも関わらず、2007年、27歳で突然芸能活動を休止。「やめる」ことで、自ら大きく人生の舵取りをした彼の、葛藤と行き着いた先とは──。

やめる

「このままいたらやばい」逃げるように日本を出た


「やめるのが怖いとかより、このままいたらやばいのほうが大きかった」。27歳の小橋さんは逃げるように日本を出た。

彼は自分の「Want to」で行動する子どもだったという。俳優として活動を開始したのも、好きな番組の観覧に行きたいと思い自ら勘違いのハガキを送ったことがきっかけだった。

しかし、いつしか彼の日常は「Have to」で構成されるようになっていた。芸能人だからこうしなくてはいけない、こういう場所には行ってはいけない──。自分の意思を反映できない行動をする苦しさにすら、いつからか蓋をするようになっていた。

彼が苦しさに気づくきっかけとなったのは、26歳で旅したネパールでの出来事だ。旅先で小橋さんをもてなしてくれたのは、同年代の青年だった。妻と娘と共に3畳ほどの家に住む彼は、娘を学校に行かせることができないという。そんな彼とバイクに一緒に乗った時に「その背中が急に大きく感じて」、目の前の生活に必死に生きる彼の姿に、涙が止まらなくなった。

「僕は未来を怖がって悲観して、未来を守るために『いま』をないがしろにしていたんです」

一度気づいてしまうと、もう止められなかった。心をブロックして本当のことを感じないように、見ないようにしていたのに、どんどん苦しさを感じる自分をごまかすことができなくなった。

「このまま自分に嘘をついてある程度の生活やポジションを得たとしても、それって本当に僕の人生なのかなと、30歳を目前にした時に怖くなって、いつもいる場所からちょっと外れて、場を変えようと決めたんです」
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文=河村優 編集=督あかり 写真=Christian Tartarello

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「やめる」を決める

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