「60点を狙い続ける」のをやめた。元厚労省官僚・千正康裕の決断

千正康裕さん


「法律を変えるっていうのは大変な仕事なんだけど、国会議員や関係団体、各省庁とか、政策を仕事としてやっている人たちの世界の中で、一生懸命説明して合意を取ればできる。もっと難しいのは、一般の人たちに中身を理解してもらって『ああ、これならいいね』と思ってもらうこと」

もし、国民に制度改正の必要性を理解してもらえていたなら、国民年金の納付率も向上していたに違いない。

「そこまでやらないと、法律が変わってもみんなの行動が変わらない。みんなの行動が変わらないと社会は変わらない。それじゃあ自分の仕事は自己満足になってしまうと感じたんです」

千正さん自身、役所の広報資料は難解で、官僚の自分にとって難しいものが一般の人にわかるわけがないと感じていた。一方で、同年代のNPOの代表らが、彼らの取り組む社会課題の重要性や事業の成果をわかりやすく発信し、寄付を募っているのを間近に見ていた。

役所の情報発信のわかりにくさは、「法律さえできれば強制的に税金や保険料を徴収できるからだ。つまり徴税権に甘えているのだ」と考え、千正さんは実名・肩書きを公表して、政策の中身やつくり方を伝えるブログ発信を2011年に始めた。官僚もちゃんと顔を見せて信頼してもらった方がよいと思ったからだ。賛否両論、さまざまなコメントにさらされることで、わかりやすい発信への勘所や炎上のポイントをつかみ、本業にもそれらを活かすことができたという。

「ネット上のコメントは過激なところもあるんですけど、普段会えない人の反応がダイレクトに分かるので、本当に勉強になりました。ネガティブな反応があっても絶対にブロックしたりはしなかった。そういう人も納税者でありお客さんだから反応は見ていたいんです。試行錯誤してきた経験は今も役立っています」

他の官僚がやりそうにないことでも、よいと思うことは素直に行動に移すのが信条だった千正さん。結果的に組織の枠を超え、慣習から自由なスタイルでの仕事になることも多かったが、厚労省はそれをあたたかく見守ってくれたという。

「現場訪問も実名の発信も、厚労省には一度も怒られたことはないんです。むしろ、NPO業界と厚労省のハブみたいに動いていたことで、インドの大使館に厚労省が初めて作ったポストに派遣されて現地の医療分野のネットワークを作ってこいと、貴重な機会をもらえました。人事異動の際に初めて一緒に仕事をする幹部に挨拶すると『Twitterフォローしてますよ』とか言われることもありました。

こういう厚労省の懐の深さが僕は大好きだし、今でも感謝しています。課外活動でも、絶対に厚労省や官僚の評判を落とさないということは強く意識していました。正直、純粋なプライベートで誰かに会っても、自分が厚労省の職員だとか官僚だということは一時も忘れたことはないです」



逼迫する霞が関 限界直前の職場で、新たな取り組みは不可能だった


管理職になってからもNPO業界との繋がりを持ち続け、厚労省の同僚や若手を現場へ連れて行く「ハブ」的な役割を担ってきた。だが、徐々に霞が関の労働現場は「ブラック化」していった。

「(厚生労働省全体が)ここ数年、業務量が増えているのに人が全然足らない状態になっていって、それと自分が管理職になったタイミングが重なってるんですよ。『最低限、これはこの課の仕事としてやりなさいね』というところ以外に、新しいことを僕はいろいろやろうとするので、忙しくなるじゃないですか。管理職になるまでは自分がプレイヤーなので、自分が作業したりしてなんとかこなせてたんですけど、管理職になると部下に作業をお願いして、それをマネジメントをしなくてはいけません」

それまではプロジェクトが忙しくなると人員補充があったが、そのころ省内全体で人手不足が逼迫していたため、極端な人員不足の中でプロジェクトを進めざるをえなかった。千正さんは仕事を抱え込み、倒れてしまう。

「3カ月半、仕事を離れて休んだ間にすごくクリアになったんですよね。とってもいいリフレッシュをして、っていう言い方が適切かわからないんですけど。だんだん自分も立場が上がって、周りの期待とか組織の未来とかいろんなものを背負い込んでいたところがあったのですが、もう1回自分らしくやろうと、前向きに復帰をしたんです」

復帰する時、互いに認め合う同期の同僚から思わぬ言葉をかけられたことも背中を押してくれた。

「『お前はいろんな現場に行ったり、発信をしたり、誰もしないことをやって、絶対他の人ができないことができる。どんどん新しいことを思うようにやっていってほしい。役所のなかで必ずやらなきゃいけない制度改正とか、そういうものは逆に言うと誰だってできる。そういうのは俺らに任せてお前はどんどん新しいことをやっていったらいいよ』と言われて。自分のスタンスを彼が認めてくれたんだと思って、僕はうれしかった」
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文=縄田陽介 編集=督あかり 写真=Christian Tartarello

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