2004年2月、「トリーバーチ」の1号店をマンハッタンのノリータ地区に出店。05年、トリーが人気テレビ番組に出演すると、翌日サイトに800万件のアクセスが殺到して売り上げが爆発的に伸び、その年の収益は1700万ドルに到達した。2年後には1億1300万ドルに上り、Tをかたどった同社の金色のロゴは、世界的な高級ブランドにじりじりと近づいていった。
そんな折、家庭内に不和が生じ、トリーとクリスは08年に離婚。ところが12年に法的な問題が勃発する。クリスが興したファッションの会社が、ふたりで始めたブランドに酷似しているとトリーが訴えたのだ。13年に和解するが、極めて公然と繰り広げられたこの離婚劇を、トリーは「人生で最もつらかった時期」と称している。
ピエール・イヴ・ルーセル(左)とトリー・バーチ(右)
翌年、バーチはルーセルと交際を始めた。ルーセルは当時、LVMHのファッション部門のCEOとして、数々の世界的なブランドを統括しており、LVMHの創業者ベルナール・アルノーの特別顧問も務めていた。ふたりの出会いは、LVMHがトリーバーチ社への出資に関心を示した12年のことだった。それから数年はルーセルがニューヨークとパリを行き来し、18年12月に結婚。だが、バーチには不満があった。
「結婚したのだから一緒に暮らしたい、同じ国にいたいと思っていたわ」
そこで、ルーセルにある提案を持ち掛けた。トリーバーチ社の次期CEOに就任してはどうか、と。多少の説得が必要だったが、ルーセルは承諾した。ふたりの新しいパートナーシップは、程なくしてその真価を問われることになる。
作戦敢行の舞台は「日本」
新型コロナウイルス危機は、キャリアの絶頂期にやって来た。54歳になったバーチのビジネスは創業16年を迎え、世界35カ国に315店舗を展開し、1月には過去最高の月間収益を記録していた。
1月28日、マクドナルドとスターバックスが中国で一部の店舗を閉鎖したその日、「トリーバーチ」も中国本土の29店舗を休業した。アジアと欧州で社会経済活動が停止すると、最初に打撃を受けたのが供給網だった。バーチはこう説明する。
「例えばイタリアから調達しているパーツがひとつだけあって、それがボタンだとする。イタリアが封鎖されてしまうと、そのボタンを使っているセーター自体が生産できなくなるのです」
そうなると、デザインを変更するか、そのアイテム自体をコレクションからはずさなければならない。前シーズンの在庫を再利用したり、生産ラインをブラジルに移してみたりもしたが、品質は満足いくものではなかったとルーセルは振り返る。
次に着手したのは、売れる地域への在庫移動だ。リアルタイムデータを元に店舗再開地域、消費者の購買意欲が強まっている地域を分析し、アジア全域の商品を中国へ、欧州から米国へ、米国の小売店舗からアトランタにあるオンライン販売用の配送センターへと移動させた。
世界中で封鎖措置が取られるなか、売り場面積が広大な実店舗は、ただお金を垂れ流しているようなものだ。そこで、3月半ばには全店舗の半数以上を休業させ、世界に5000人いる全従業員のうち、米国の販売員と欧州の小売事業人員の大半に、一時的な無給休暇を取らせた。
商品の再編も行われた。ラインナップは20%縮小し、今後のコレクションではシューズとバッグをより充実させるという。消費者にとって、シューズやバッグは比較的長期に使えるアイテム、つまり「投資」と考えられるからだ。