今年、社会的正義を求める抗議活動が広まった際、多くの企業が公式声明で「私たちは耳を傾け始める必要がある」や「今こそ耳を傾けるときだ」といった表現を使い、職場での差別に関する従業員の懸念を聞き入れる意志があることを主張した。
しかし、聞くだけでは十分ではない。企業はその際、自己弁護をしたり、問題を正当化したり、当事者に懲罰を与えたりしないことが必要だ。リーダーシップIQの調査では、管理職が職場での差別について自己弁護的にならずにいつも懸念を聞いてくれると感じていた黒人従業員はわずか11%だったが、白人ではこの割合が約2.5倍の28%だった。
こうした懸念を聞くことは簡単ではなく、時に不快なものだ。その際には、「認知的不協和」が起きることもある。認知的不協和とは、心理的に相反する2つの考え(あるいは態度や意見)を持っているときに生じる不快な緊張状態を指す言葉だ。
「聞く」ためには世界を相手の視点で見る必要があり、成功すれば新しいことを学べる。他の人がどのように感じ、考えているかについて新たな見識と深い理解を得ることができるのだ。ハーパー・リーの小説『アラバマ物語』に道徳観を体現する人物として登場するアティカス・フィンチは娘に対し重要な人生の教訓として、ある人の気持ちは「その人の肌を着て歩き回るまで」決して本当に理解することはできないと諭す。
スンダー・ピチャイが、その大変さを理解していることを願いたい。