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2020.12.27

詐欺に問われる可能性も?投資アプリ「ロビンフッド」彼らは本当に正義の味方なのか

ブラッドミア・テネブ(左)とベイジュ・バット(右)は、大学の学部生時代に知り合った。


「フラッシュボーイズ」の背中を追って


ブラッドミア・テネブとベイジュ・バットの躍進は、テクノロジーの破壊的な変革の時代にはよくあることのひとつだ。2人はスタンフォード大学の学部生として2005年の夏に出会った。

「僕らは両方とも、一人っ子で、バージニアで育ち、スタンフォードで物理を学ぶ、移民の子供。僕らの両親は米国の博士課程の留学生だったんだ」

そう語るのはバットだ。バットの家族はインドから、テネブの家族はブルガリアから米国に移住してきた。

世界銀行の職員である両親のもとに生まれたテネブは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の数学博士課程に入学したが、11年に退学し、バットに合流して高頻度トレーダー向けのソフトウェア開発に取り組んだ。10年にウォール街で起きた「フラッシュクラッシュ」直後のことだ。

それは高速トレーダーによってダウ平均が1000ポイント近く急落した現象で、このときの極端な株価の変動によって、金融市場の大部分が、一握りの秘密主義の証券会社が支配する不透明なクオンツ取引プールに移行したことが露呈した。

「フラッシュボーイズ」と呼ばれるこうした高速トレーダーたちは、ほかの投資家の注文にミリ秒単位で先んじて取引する人々で、マンハッタン南端部にある企業のバックオフィスやIT部門、さらには大学の博士課程から現れ、ウォール街の新たな王となった。

高頻度トレーダーについてテネブとバットが学んでいた時期、世界は混乱状態で、08〜09年の金融危機の打撃からの回復途上にあった。

そして、こうした状況がロビンフッドの創業物語に説得力をもたせた。11年に「ウォール街を占拠せよ」運動が起こった際、友人から「不平等なシステムから不当に利益を得ている」と非難されたテネブとバットは、自らを見つめ直し、12年、公平な金融取引を連想させるロビンフッドの着想に至ったというのだ。

13年のアプリ立ち上げ以降、バットはもっぱらアプリのデザインに集中し、シンプルに使いやすさを追求した。例えば、ユーザーが株を購入すると、iPhone画面上でアニメーションが点滅し、デバイスが振動するといった具合だ。ロビンフッドは15年にアップル・デザイン賞を受賞。するとミレニアル世代が大挙してダウンロードし始めた。

19年秋までに同社は10億ドル近い資金を調達、企業価値は76億ドルまで膨らみ、500人の従業員と600万人のユーザーを擁するまでになっていた。

だが、ロビンフッドの成功の秘訣は、創業者本人たちが公言したがらないところにある。同社は当初から「ペイメント・フォー・オーダー・フロー(PFOF)」と呼ばれる仕組みに自社の収益性を託していた。

つまり、ユーザーから手数料を徴収しない分、彼らの取引注文を「マーケットメーカー」、つまり大企業で高度なクオンツ取引を行うシタデル・セキュリティーズ、ツー・シグマ・セキュリティーズ、サスケハナ・インターナショナル・グループ、ヴァーチュ・フィナンシャルなどにひそかに売ることで収益を稼いできたのだ。

そして、それらの業者はロビンフッドの顧客の注文を自社のアルゴリズムに読み込ませ、買値や売値を削って取引を執行することで利益を追求している。

20年の第1四半期、ロビンフッドが計上した1億3000万ドルの収益の70%が、PFOFから生じていた。それが第2四半期になると倍増して1億8000万ドルになっている。
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文=ジェフ・カウフリン/アントワーヌ・ガラ/セルゲイ・クレブニコフ 翻訳=木村理恵 編集=森 裕子

この記事は 「Forbes JAPAN Forbes JAPAN 11月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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