和歌山の一軒家レストラン 創作を深めた「20年目の決断」

和歌山の一軒家レストラン「ヴィラ・アイーダ」の小林寛司シェフ


これまでは、昼は4000円からコースを提供していたが、昼夜共に、1万8000円のお任せコース一本にした。蓋を開けてみると、収入は変わらなかった。熱心なファンが変わらず訪れたのだ。

料理の創作に充てられる時間は倍に増えた。時間に余裕ができた分、休みを取っては旅に出たり、ポップアップや他店の監修などの仕事もできるようになった。

寄り道なし、料理一筋の人生


「自分の人生はずーっと料理。寄り道しないで最短距離を選んできた」と語る小林の歩みを振り返ると、「やめる」を決めることの連続だった。

一番大切な「料理の勉強」を優先し、「遊び」を切り捨てた若い頃。高校を卒業後は、「いつか、自分の店を持つ」ことを目標に、大学ではなく料理学校に進み、大阪のイタリア料理店に就職した。同級生たちが大学生活を謳歌するのを横目に、「今の頑張りが10年後、20年後の違いにつながる」と信じ、朝から晩まで働いた。たまの休みも、コツコツと貯めたお金でレストランを回り、料理の勉強にあてた。

47歳になった今、料理漬けだったストイックな生活を振り返り「遊びのない選択ばかりしてきたけれど、遊んできた人には、遊んだ分の別の魅力がある。大好きなアートを大学で勉強しておけばよかったかなと思うこともある」と笑うが、本当にやりたいことをするための取捨選択は若い頃からの小林のスタイルなのだ。

2年間の修業の後、21歳の時に「成功するまで帰らない」と片道切符でイタリアに渡った。4年かけて、イタリア全土の合計8つのレストランで働いた後、和歌山の実家の畑の一角に自らのレストランをオープンしたのが「ヴィラ・アイーダ」だ。やっと自分の料理ができる、と現地で学んだ最先端のテクニックを披露した。



珍しさもあって、オープン当初こそ客が集まったものの、3年目からぱたりと客足が途絶えた。

当時は、地元の人が好む、高級輸入食材のフォワグラやトリュフを使った料理を提供していた。しかし本来、和歌山ではトリュフもフォアグラも取れない。その料理は、イタリアで学んだ「郷土の食材を使ってその土地の風土を表現する」料理とはかけ離れていた。
次ページ > 買えないなら、育てればいい

文=仲山今日子

タグ:

連載

「やめる」を決める

ForbesBrandVoice

人気記事