欧州で10年は伊達じゃない。スペイン初ゴールを得た岡崎の「初志貫徹力」

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ラ・リーガ1部で決めた待望の初ゴールも、愚直ぶりが凝縮された岡崎の全力疾走から生まれている。現地時間6日に行われたグラナダとの第12節の後半37分。自陣から味方が蹴ったロングボールはやや正確性に欠けたが、目測を誤ったのか、落下地点に入った相手ディフェンダーがクリアミスを犯す。そして、ボールはカウンターを発動させていた岡崎の目の前にこぼれて来た。

相手キーパーも中途半端に前へ出てきていた状況も見極めた上で、岡崎は右足を優しくワンタッチさせる。美しい軌道を描きながら約35m先のゴールに吸い込まれたループシュートはキーパーを無力化させ、第12節で決まった全19得点のなかでベストゴールに選出された。

岡崎はヨーロッパで10年目のシーズンを終えようとしている。

振り返れば、シュトゥットガルトでわずか1ゴールに終わった2012-13シーズンは、首脳陣から「ユニフォームの下に、日本代表のユニフォームを着込んでプレーしてほしい」と嫌みを言われ、レスター・シティでプレミアリーグ制覇を経験した2015-16シーズンでのゴール数は5に終わっている。

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シュトゥットガルトでの岡崎(Getty Images)

5つのゴールでも、攻守両面でチームを助け続け、労を惜しまない献身的な運動量がサポーターの胸を打ち、スポーツ専門チャンネル『Sky Sports』で「影のヒーロー」と称賛されるも、2018-19シーズンでは先発はわずか1試合。このシーズンはヨーロッパに渡って初めて無得点に終わる。

ロシアW杯後に船出した森保ジャパンにも招集されなくなった。復帰を果たしたのはメンバー招集が難航し、東京五輪世代が大半を占める若手中心の構成となった昨夏のコパ・アメリカだった。背番号が慣れ親しんだ「9」から「18」に変わっていた状況を含めて、岡崎は自らを鼓舞するようにこんな言葉を残している。

「自分としては、日本代表の『9番』に特別な思いを抱いてきた。なので、そう簡単に自分のところに戻ってくるようなものであったらいけないと思っていた。もう一度海外で結果を出して、正真正銘の点取り屋として戻ってきたときに、自信をもって『9番をつけたい』と言えればいい」

2019年にラ・リーガ2部のマラガへの移籍が決まるも、選手の年俸総額がリーグ規定の上限を超えていたため、登録が認められないままわずか1ヵ月で退団。直後にピレネー山脈を国境としてフランスと接する、人口5万人あまりの町に本拠地を置く2部ウエスカへの加入が決まった。

「例え最初は2部でも、昇格して1部でプレーしたい、という夢がこれでかなう」

ウエスカの公式ツイッターに綴った喜びを、チームトップの12ゴールをあげて2部優勝と1部昇格に導いた岡崎は、夢を鮮やかに具現化させた。ストライカーの輝きを取り戻させた源は「初心を一度たりとも忘れることなく貫いた純粋さ」であり、満足したら成長は止まる、と言い聞かせた貪欲さだった。

招集されていた10月の日本代表のオランダ遠征辞退を余儀なくされた、左太もも裏の負傷による戦線離脱で、ラ・リーガ1部での初ゴールは周囲に寄せられていた期待よりも大幅に遅れた。それでも第一歩を刻ませた芸術的な一撃は、これから量産されていくはずの泥臭くいゴールの呼び水であり、岡崎がサッカー小僧時代から定めてきた壮大な目標へのマイルストーンにすぎない。


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文=藤江直人

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