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サッカー日本代表において、釜本邦茂、三浦知良の両レジェンドに次ぐ通算50得点をマークしている岡崎慎司(ウエスカ)が、今シーズンから挑んでいるスペインのラ・リーガ1部で待望の初ゴールを決めた。

ドイツのブンデスリーガ1部、イングランドのプレミアリーグに続き、ヨーロッパ5大リーグのうち3つでゴールを決めた34歳のベテランは、サッカー小僧時代から「いつかは世界でナンバーワンのストライカーになる」と胸に大いなる野望を秘めていた。

岡崎は言う。「自分にも野望があるし、それを成就させるためにも成長していかなければいけない。無謀かもしれないけど、いつかは世界でナンバーワンのストライカーになるとずっと思ってきたんです」

どのような逆境に直面しても絶対に見失わない初志貫徹力を触媒としながら現在も成長を続けている。

2010年の夏。当時、24歳の岡崎は、日本代表のエースストライカーを象徴する「9番」を託されながら、W杯南アフリカ大会開幕直前にレギュラーの座をはく奪されていた。低空飛行を続けていた代表チームの浮上をかけて岡田武史監督が断行したシステムおよび戦術変更のもと、中盤を主戦場としていた本田圭佑が代役に指名される屈辱をも味あわされた。

大会が開幕すると、カメルーン代表とのグループリーグ初戦、デンマーク代表との同最終戦で本田がゴールを連発。日本を決勝トーナメント進出へ導いた一方で、リザーブに回っていた岡崎も途中出場したデンマーク戦では勝利を決定づけるW杯初ゴールを決めていた。

「あのときは誰のせいでもなく、自分が勝手にプレッシャーの前に負けていました」

初めて臨んだW杯直前で言い渡されたリザーブへの降格をこう振り返った岡崎は、その初ゴール、シュートを打てる状況にあった本田があえて相手ゴール前へ詰めてきた自分へラストパスを出した選択を、苦笑いを浮かべながら「普通はシュートを打つでしょう」と感謝している。

「流れが(本田)圭佑のものでしたからね。あそこでパスを出すのはシュートを打つプレーよりも素晴らしいことだし、だからこそ自分も救われた形になりました。W杯の舞台でゴールできた喜びというよりも、未熟者ながら何とかチームに貢献できてよかった、と」

岡崎と本田はともに1986年生まれであり、代表デビューは本田が3ヶ月半ほど早いが、代表初ゴールといえば岡崎が4ヵ月ほど早かった。南アフリカ大会の前も、そして後も本田の存在を意識し続け、背中を追いかけていくと心に誓ったからこそ、岡崎は南アフリカ大会をこう総括していた。

「先発で出られるのは個の力を持つ選手であり、僕にはそうした能力がないと認識していました。ただ、自分も下ばかりを見るのではなく、圭佑のように世界を見すえないといけない。いつチャンスが訪れるかはわからないけど、僕自身も昔から世界へ出て、活躍したいと考えていました」

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2010年南アフリカワールドカップ、日本対デンマーク戦の岡崎慎司と本田圭佑(Getty Images)

海を渡るまでのサッカー人生を振り返っても、兵庫県宝塚市で生まれ育ち、8歳でサッカーを始めた岡崎は、それ以降、「世界ナンバーワンのストライカー」を追い求める熱を持ち続けている。

高校進学を控えた2002年の春。全国から有望選手が集まってくる地元の強豪、滝川第二高校を選択したときに、周囲から「無謀だ」と猛反対され、それでも意に介すことなくセレクションを受け合格するも、今も恩師と慕う黒田和生監督(当時)から入学へ向けてあることを念押しされた。

文=藤江直人

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