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「寛容のパラドックス」に注意せよ


心理的安全性を白か黒かで単純に割り切る考え方も、安全性と快適性の混同も、同様に皮肉な結果をもたらす。何でもやりたいことを言ったりしたりできる安全な環境は、現実には安全とはとても言えない環境を作り出してしまうのだ。これは、無制限に寛容な社会は最終的に不寛容な人に奪われてしまうという「寛容のパラドックス」によく似ている。

何をしても安全で快適だと見えるようにすることが、逆に危険な環境を作り出すことになる。

チーム環境における心理的安全性とは、発言者に悪意がない限り、その発言も行動も非難の材料にはされないとわかっていることを指す。

警察が誰かを逮捕したときに発表するコメントと正反対のものと考えてほしい。次のような「好意的」追加条項も加えるとわかりやすいかもしれない。

「心理的安全性とは、悪意のない限り、その言動で発言者が不利にならないこと。そしてチームメートも、悪意が証明されない限り、それを好意的に受け止めること」

それでもまだ問題は残る。心理的安全性について語ることと、実際に心理的安全性を実現することはまったく別物である。何を言ってもそれを非難の材料にはしないといくら伝えたところで、そのまま信じてもらえるとは限らないからだ。

私が、心理的安全性という言葉をもう少し細かく分けて、信頼という側面から語ることが有効だと思うのはそのためである。

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【心理的安全性と信頼の違い SHANE SNOW】

心理的安全性と信頼の違い


つまるところ、心理的安全性とは二者間の関係ではなく、集団内での信頼関係を意味する。

グループが大きくなればなるほど、心理的安全性を維持するのは難しくなる。グループ全員を信頼していなければ、リスクをとることはできない。

このように考えると、「リスクをとる」ことの意味が明確になる。信頼とは能力、誠実さ、善意の3つを示すことで獲得できるものだからだ。なかでも善意の有無が信頼を築く鍵になる。どんなに技術や能力があっても、それだけでは何を考えているかわからない他人を信頼することはできない。

リスクをとっても安全といっても、どんなにひどいことをしても構わないという意味ではない。本当の心理的安全性とは、お互いに思いやりを持って双方向からコミットすることなのだから。

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【不信VS寛容 SHANE SNOW】

メンバーがお互いに思いやりを持って接するグループでは、次のようなことが起こる。

1. 間違いを犯しても個人の責任にはならない
2. 何かおかしなことが起きているとき、それを指摘しても責められることはない
3. チームに役立っているかぎり、誰から出たアイデアかは問題にならない
4. 助けが必要なとき、頼んでも悪口を言われない
5. 考えを変えた人は非難されるのではなく、その知的な謙虚さを賞賛される
6. 決断するときは自分にとっての最善ではなく、チーム全体──メンバーひとりひとりの最善を考える
7. 他の人の行動を善意に解釈する

端的に言えば、心理的安全性を持つグループを作りたければ、何より必要なのはお互いに相手を気づかう気持ちを持った人々を集めることなのだ。

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翻訳・編集=川崎稔/S.K.Y.パブリッシング/石井節子

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