「捕食関係」に甘く匂う性愛。草食男子が抱える『生きづらさ』とは

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たとえ肉食動物といえども、同種(ライオンならライオン)のメスを狩ったりしないのだ。

肉食動物が同種のメスを無理やり襲ったりしていたら、その種は滅ぶ。野生動物はレイプをしない。メスに受け入れられなければ、無理やりに性交することはない。その意味では、野生動物は「やさしい」。草食肉食の別を問わず。人間がなくすことのあるやさしさと自制とを、本能でそなえている。

動物の捕食は恋の時間と似ている


ここでわたしは「草食男子」というタームが間違っている、と指摘したいのではない。単純な誤認に人が気づかず、この言葉をすんなり理解し納得し伝播させるのが面白い。そう言いたいのだ。

つまりは人だけが、恋愛とセックスに狩りのイメージを持てる。もし同種に対して持ったなら、相手を滅ぼしてしまうイメージに、恋を仮託してゾクゾクする。

穏和な時間が流れ、草食動物が草をはんでいるサバンナに、とつぜん捕食者が走る。捕食者は、とつぜん動く。とつぜん、スピードを出す。とつぜん群れを乱す、とつぜん間合いを詰める。

すべてがとつぜんであり、そうでなければ成功しない。これは恋の時間と似ている。とつぜん始まる。とつぜん日々の均衡が崩れる。それなりに安定していた一人の世界が崩れ、他人が心に侵入してくる。有無を言わさず。その人を見て時間の流れがちがって思える。意思でコントロールができない。

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そしてはじめて告白するとき、はじめて触れるとき、はじめてキスしようとするとき、はじめてセックスしようとするとき。

必ずどちらかが均衡を破らなければならない。どちらかがリスクを冒さなければならない。

捕食のたとえに戻ろう。肉食動物はとつぜん動く。草食動物はとつぜん逃げる。追われたら、逃げる。逃げる。逃げる。どんな結末も度外視して見るのならば、その逃げるさまは美しい。美しいと感じれば、もっと追いかけたくなる。獲物を追う肉食動物の姿も美しい。美しいと感じれば、もっと追いかけたくなる。獲物を追う肉食動物の姿も美し。

その切迫感や見るときの心拍の上がり方、情動のうねり──これは体感だけで言うなら、恋の体感と近い。

受け身同士の恋愛は成り立つか


ここで疑問が出てくる。「草食男子」というものを考えた場合、その恋愛相手とされているのは何者なのだろう?

これに対して明確な答えを見たことがない。

「草食男子」というタームが、もとは人間の恋愛を狩りにたとえるメタファーを下敷きにしてはいて、そのアンチなのだが、草食男子(草食動物)が肉食女子(肉食動物)を好むという世界観は考えにくい。

ならば対象は、草食女子、なのだろうなあと思う。

仲良く並んで草をはんでいる──草食男女の世界観としてはそういうものだろう。そしてどちらも恋愛には積極的ではなく、受け身である。

うつくしい世界ではある。
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文=赤坂真理

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