「男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白することは通常考えられない」
2005年、大津地裁は判決でそう断じた。もしも、障害を伴う未熟な被告であれば「通常」の前提はまるで変わるはずだ。(中略)
臨床の現場で多くの発達・知的障害の人に接してきた小出将則医師(55)=愛知県一宮市、一宮むすび心療内科院長=は、両親との面接、すべての手紙、小中学校の通知表、作文を調べた上で臨床心理士の女性(50)と西山受刑者の発達・知能検査に臨んだ。結果は軽度知的障害と判明。不注意や衝動性がある注意欠如多動症(ADHD)が明確になり、こだわりが強い自閉スペクトラム症(ASD)も「強い傾向」が示された。
小出医師は「ある程度の知的レベルがあるがゆえに、周りが気づかず〝通常〟の扱いを受けてしまうゾーン。同じような人は多い」。検査に立ち会った第二次再審の主任弁護人、井戸謙一弁護士は彼女と何度も面会し、手紙のやりとりを続けるが、結果は「意外だった」と言う。原審、第1次再審請求審の弁護人の誰ひとり「障害」に言及していないことが、見た目や普段の会話から判断する難しさを裏付ける。(中略)
植物状態だった患者=当時(72)=の人工呼吸器のアラームは鳴らなかった。しかし、彼女は刑事に威圧されて「鳴った」と言った。優しくなった刑事を好きになり「鳴った」と言い続け、同僚の看護師が「居眠りして聞き逃した」疑いで厳しく追及された。助けようと、供述の撤回を何度も警察に求めたが拒絶されて追い詰められ、うつ状態になり「私が殺ろしたことにしようと思った」(06年4月、両親への手紙、原文のまま)と打ち明ける。
大人でさえ判断を誤りかねない状況に、もし「パニックになりやすい傾向のある子ども」が置かれたら…。知的障害を伴う発達障害は「パニック状態で判断力を失い、自暴自棄になりやすい」と小出医師は言う。だとすれば、うその「自白」が何をもたらすかの想像力を欠く「無防備な少女」が捜査機関の筋書きに乗せられ、その「うそ」を根拠に裁かれた可能性がありはしないか。
発達障害者支援法が施行されたのは一審大津地裁判決と同じ05年。その10年後、第2次再審請求を棄却した大津地裁の決定は「自白の信用性は、裁判官の自由な判断に委ねられるべき」だと説く。自白偏重の古い体質を改め、支援法への深い理解を踏まえていなければ、その自由は独善にすぎない。彼女の障害は決して「まれ」ではない。同じ困難に苦しむ人は誰の隣人にもいる。一刻も早い再審を求めたい。(角雄記)※中日新聞2017年5月28日、年齢は当時
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その後、40回に及んだ「西山美香さんの手紙」(出所後に呼称を「受刑者」から「さん」に変更)は、2017年5月に上中下で報道した3つの記事が起点になっている。これ以後は、警察、検察の捜査の不当性、裁判官の事実誤認がなぜ繰り返されたかなど、司法の問題点を各論的に詰めていった。
そして、当初は供述弱者への司法の無配慮にスポットを当てたこの調査報道を通じて、日本の司法の暗たんたる側面を思い知ることになる。それは、警察、検察、そして裁判官の中に潜む「冤罪を生みだすメカニズム」が長年にわたり放置されている現実だった。
連載:#供述弱者を知る
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