シェイは、同社を10億ドル規模のネット靴販売大手へと育てた人物だ。シェイの死のニュースに、すぐに多くの追悼の言葉が送られた。これらは、彼のイノベーションや寛大さ、より良い企業文化と世界を作ることへの献身に対するものだ。シェイは人生を通し、インタビューや書籍でキャリアやビジネスに関する多くのアドバイスを授けてきた。
ここでは、彼がキャリアを通して共有・体現してきた最高の教訓を4つ紹介する。
1. 役職や地位の象徴より、自分がやりたいことを大事にする
米公共ラジオNPRの取材に対し、シェイは最初の会社であるリンクエクスチェンジ(LinkExchange)をマイクロソフトに売却したときのことを説明した。彼は、同社にわずか1年半残って全額支払いを受ける代わりに立ち去ったのだ。
「私はただ、自分が自分に忠実であるようにしようとし、地位の象徴や社会に期待されていることではなく自分がやりたいことをし始めたのだと思う」とシェイ。「誰もが最終的に同じ制約を持っている唯一の資源は時間だ。そのため私は、時間を無駄にしたくなかった」
2. 立ち止まらない
「やり遂げることは良いものを作ることよりもベターだ」「完璧さを追い求め、良いものを作る敵にならないようにすること」などの言葉は職場でよく言われることだが、これはシェイの言葉ではない。
シェイは著書『顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説』で、「私たちは決して、改善をする切迫感を失ってはいけない。私たちは絶対に『十分良い』水準に落ち着いてはいけない。良いは素晴らしいの敵だからだ」と述べている。
3. リスクを取る
シェイは、大胆なリスクを取ることを恐れていなかった。自分の会社の文化のメリットになると感じた場合はなおさらだ。彼はザッポスで一時、役職や階層制を持たない分権的な組織モデル「ホラクラシー」を採用していた。シェイは従業員に口実を与え、18%は会社を去ることを選んだ。
ザッポスは最終的にホラクラシーをやめたと報じられたが、シェイは従業員の幸せを優先するその姿勢から、シリコンバレーやより大きな企業世界の文化的指導者と考えられていた。利益を増やすためだけではなく、会社の文化を改善するために実験を行い、大きなリスクを取る意志は、シェイを他の企業役員らから際立たせた。
4. 約束には全力で取り組む
シェイの遺産として残るものは、ラスベガス中心街を再生させる取り組み「ダウンタウン・プロジェクト(Downtown Project)」になるだろう。シェイは2004年にザッポスの本社をラスベガス中心街に移転させ、シリコンバレーのゲートに囲まれたコミュニティーを後にした。
シェイは、自身の財産のうち3億5000万ドル(約360億円)をラスベガス中心街に投資すると約束した。これはシェイのような地位の起業家には、珍しく進歩的な行動だった。
シェイは高い目標を達成できず、同プロジェクトは議論も呼んだが、ラスベガス中心街は紛れもなく拡大した。シェイのプロジェクトへの投資と献身の大きさを疑う人は誰もいなかった。