職場で性別や人種などによって不利益を受けることなく、多様な人材が積極的に活躍できるダイバーシティの考え方が浸透しつつある。しかし、今もなお見過ごされがちなのが、メンタルヘルスの問題を抱える人たちの働き方だ。
うつなどで仕事に穴を開けることは会社に対して「迷惑をかける」という当事者の心理的重圧もある一方、周囲にも未だに心の病に対する偏見が残っていて、本人の甘さや弱さに原因があるとみる風潮も根強い。また、心の病はプライベートなもので、職場など社会に対してオープンにすることがはばかられる、という閉塞感もある。
そうしたメンタルヘルスに対する理解が深まらない代表例として、統合失調症が挙げられる。統合失調症は、幻覚や妄想、意欲の低下、そして認知機能障害などで感情や思考をまとめられないなど、脳内の精神機能のネットワークがうまく働かない症状を示す。
統合失調症を抱える人が苦しんでいる症状に対して,周囲の人が偏見や誤解によって普通の社会生活を送ることが難しいと考えてしまう風潮は根強い。しかし、統合失調症研究と治療の最前線を知ればそれは誤りだと気づくはずだ。統合失調症を抱える人たちも適切な治療を行えばごく普通に働き、世の多くの人たちと同じような生活を送ることができる可能性がある。
ここに、心の病を抱える人の働き方、生き方を多様性の一つとして理解し受け入れ、社会的に受容する、ダイバーシティ&インクルージョン(以下D&I)の考え方を深めるヒントがある。統合失調症という病から目をそらすことなく、真正面から向き合うことで、メンタルヘルスの問題を抱える人がより社会参加しやすい風潮を生み出すことができるといえる。
また、新型コロナウイルスによる自粛の結果、将来の不安等によりうつが引き起こされる例もあり、企業にとって社員のメンタルへの配慮は欠かせない。ジョンソン・ エンド・ジョンソングループの医薬品部門として、長年精神・神経疾患などの薬の開発に取り組んでいるヤンセンファーマ株式会社は、統合失調症の治療薬の開発研究だけでなく、統合失調症を抱える人たちへの理解を深め、彼らがより社会で活躍できるようなD&I活動をサポートしている。
D&Iを推進する経営企画本部長の加藤ゆう里、同社で統合失調症治療薬の研究開発に携わる薬学博士の渡辺小百合の2人に、統合失調症と働き方の多様性について話を聞いた。
心の病は病気というより「傾向」。当たり前のように受け入れ、働きやすい職場を作る
「ヤンセンファーマでは、統合失調症をはじめとする精神・神経疾患の事業に大きく力を入れております。薬を開発して症状を軽減し、抑えることが事業の中心ですが、その根底にあるのは『ノーマライゼーション(normalization)』、つまり病気をタブー視せず、あらゆる人たちと同じように、統合失調症を抱える人たちがごく当たり前の生活を送れるためのサポートをするという目的があります」
加藤はそう語る。統合失調症やうつのほか、ADHDなどの発達障害の薬も扱うヤンセンファーマでD&Iを推進する加藤は、心の病は、病気というよりもその人の「傾向(スペクトラム)」ではないかと考える。
誰にでも、ある程度のうつやパニック障害などに襲われてしまう時はあり得る。それは特別な異常があるからではなく、ストレスや人間関係など様々な状況が重なり、心のバランスが取りにくくなってしまった状態である。だからこそ特別視せず、当事者も周囲もありのままに受け入れて、薬の力や医師のアドバイスを頼り、軌道修正しながらバランスを取る。
「自分はダメだから、弱いからと落ち込む必要もないですし、自らを責める必要もありません。熱しやすくて冷めやすい、怒りっぽいなど、人には性格に傾向があるように心にも傾向がある。本人はもちろんですが、周りもその症状を冷静に受け入れて、その人が一番いい形で働けるよう微調整をしていけばいい」
ヤンセンファーマの親会社である米国ジョンソン・エンド・ジョンソンの3代目社長ロバート・ウッド・ジョンソンJr.は、1943年、経営理念として、「我が信条(Our Credo)」を起草した。そこから生まれた同社の行動規範として、「誰もが尊重され、誰もが可能性を発揮できる」がある。これに基づきD&Iは早い時期から社風、文化の中に根付いてきたという。
ダイバーシティ(多様性)は社会に浸透しつつあると感じる加藤が、さらに進めなければならないと考えているのはインクルージョン(受容)だ。違いを受け入れ、乗り越え、それぞれが違和感を覚えることなく、帰属意識を持ちながら、最大の可能性を出せる社会のロールモデルとなるべく、ヤンセンファーマ社の組織づくりを進めている。
メンタル面で不安を持つ部下に対し、上司として、または会社としてはどう対応すべきなのか。突然部下や同僚が突発的に予測不能な行動に出てしまうのを見たとしても、周囲は恐怖を感じたり目を背けたりするのではなく、まずは冷静に受け止め、考えることが大事だと語る。
「そういった症状を出にくくする、抑えやすくする状況や環境を考えれば、自分の中にある恐怖心、偏見を取り除こうと、建設的に考えられるようになるはずです。まずは客観的に自分のリアクションをとらえ、なぜ拒否反応してしまうのかを見つめる。メンタルヘルスだけではなく、人を疎外したいと思うのは、その多くが感情的に反応してしまうときです。何かしら無意識に存在を否定するトリガー(きっかけ)があるので、そのトリガーポイントに気づき、そこを掘り下げ、なぜそう思うのかを考えてみることです」
さらに、受け入れる側の会社や管理職は、当事者がその状態と上手く付き合っていく方法を探る環境を提供することが求められると加藤は語る。
「実現するには、オープンなディスカッションが必要です。本人がどういうサポートを求めているのかを知る。そしてその人の特性はどこにあるのかを把握する。当事者ときちんとコミュニケーションできないと、支える側も環境を提供することができません。それは会社や管理職だけの責任だけではなく、当事者もその状況を受け入れ、どうしたら自らの能力を最大限発揮できるのかを自分なりに考えてもらうことです。そして会社や管理職の側も、彼らをサポートする姿勢をはっきりと表明することが必要です」
当事者は自身の状態の良い時や就職時などに、会社や上司に対し、自分がより生産的になれる環境だけでなく、症状が悪化した時の自覚症状などについても事前に話し合っておくことが大切であり、周囲のサポートがあれば、お互いにとってメリットを生み出せる、というアピールをすることも大切だという。
「統合失調症の症状で一番苦しんでいるのは本人であり、悩んでいる人は自分を責めやすい。自分を責めると被害者意識につながりやすくなります。そうではなく、普通に自己受容の一部として受け止め、客観的に自分の状態を見て、必要としているサポートを当事者本人が考える。それが当事者の権利だと思いますし、『サポートを求めていいんだよ』と言える環境を作るのが、会社や管理職の責務だと思いますね」
その声が出せないほど心がつらい時は、「スペースを与える」べきだと加藤は強調する。無理に仕事を続けさせるのではなく、休みを取ってリフレッシュさせ、その上で自分はどうしたらいいのか考えてもらう。環境を提供するのも休ませるのも、いずれにしても基本は特別扱いしない。たまたまそういう時期なんだ、よくあることだと周囲から声をかけることによって、当事者本人の気持ちも楽になるという。
メンタルヘルスはある「状態」に置かれているのだと捉えるべき──加藤はそう考える。その状態を改善させることがもちろん重要だが、それと同時に上手く付き合っていく方法を考えることも大事であり、より良い環境を本人と探すのはもちろんのこと、受け入れる側の会社、管理職も適切な環境を提供するという、制度改革が会社経営に不可欠となる。
「治る、治らないではなく、その状態とどうやって向き合っていくか。いい時もあればダウンすることもある中で、どう対応していくか。たとえ振れ幅が大きいままでも、アジャスト(適応)できる方法があるんじゃないか。状態の悪い時含め、いかにその状態と付き合っていくかが、本人にも組織にも求められていくと思います」
統合失調症を知り、オープンに話せる環境づくりを
では、統合失調症の治療や、当事者へのサポートはどのように進化しているのだろうか。
ヤンセンファーマ研究開発本部の渡辺によると、統合失調症の中には3つの大きな症状がある。幻覚、妄想などの「陽性症状」、そして気分が落ち込む、外に出られないといった「陰性症状」、さらに集中力が欠けてしまい、やりたいことできないといった「認知機能障害」だ。この中で陽性症状を改善させる定型薬と呼ばれるハロペリドールをヤンセン創始者であるポールヤンセン博士が開発した。現在では、陽性症状を改善し、定型薬の副作用軽減を目的として開発された非定型と呼ばれる第二世代の抗精神病薬が主流である。
抗精神病薬は経口剤(飲み薬)だけではなく、1回投与すると2〜12週間効果が続く持効性注射薬もある。第二世代の持効性注射薬はヤンセンファーマが最初に開発し、薬を飲み忘れることによる再発の防止にも繋がっている。
「当事者の中には、薬を服用しなくなる方がいます。例えば,注意散漫になり忘れてしまう場合や、自分自身が統合失調症を抱えていることを認めたくないため、服用をやめてしまうという場合があったり、少し良くなったら薬が不要と判断して服用をやめてしまうケースもあります。統合失調症の症状は、風邪薬などと比べて、薬を服用したらすぐ治る、といったわかりやすい効果が実感できない上、長期間にわたって飲み続けなくてはなりません。当事者が薬の服用を継続することの重要性を理解しきれていないために、自己判断で薬をやめてしまい、治療の効果が得られないケースもよくあるのです」
ヤンセンファーマは、治療薬の開発に加え、統合失調症を抱える人のケアにも力を入れている。まずは統合失調症という病を社会的に認知させることだ。統合失調症の名前自体は知られていても、幻覚や妄想などがどのように起きているのかはあまり知られていない。そこで、陽性症状の幻覚擬似体験ができる「バーチャルハルシネーション」を開発し、医療関係者や家族などに貸し出しを行っている。
「VRをかけて幻視や幻聴体験をすることで、実際に起こっていることはこういうことだったのか、と少しわかるだけで、患者さんに寄り添う一つのきっかけになるんじゃないかと思いますね」と渡辺は語る。
そして、プロサッカーチーム東京ヴェルディとSDGsパートナー契約を締結し、「ともに未来へ Green Heart Project」という、統合失調症などの心の病を抱えた方々の社会復帰や、地域での生活サポートを目的としたボランティア活動やイベントのサポート活動に従事している。
また、統合失調症を抱える人のアートセラピー企画「Heart アートコンテスト」を開催するなど、スポーツやアートを通じ、当事者の就労支援や社会復帰をアシストしている。
「響」 画:葉月育
「煌(きらめき)」 画:瞳
こうした啓発活動について、渡辺は次のようにその意図を語る。
「統合失調症の治療薬を届けることが製薬会社としての最初のゴールではありますが、最終的には当事者がごく普通に電車に乗れ、買い物ができ、学校に通う、仕事をするといった、社会の中できちんと生活していくことが目標です。この目標を達成するために必要なことは、『再発を抑制すること』であり、そのためには『服用の継続』、『環境の整備(周囲のサポート)』と、『患者さん本人が病気に対する付き合い方を学ぶこと』が重要になると考えています。これからも私たちは創薬を超えた活動をしていきたいと思っています」
医療の観点から見ても、周囲の理解と協力、サポートは必要だと渡辺は指摘する。
「おそらく我々の身近なところに精神疾患の方はいます。統合失調症の有病率は約100人に1人で、うつ病、パニック障害などいろいろな病気を合わせたらもっと多くなります。本人は、人に言うのが恥ずかしいし、人にどう思われるかが気になるかもしれません。しかし、自らの状態を隠す必要はないのです。オープンに話せる周囲の環境があると気も楽になるし、職場にも理解のある上司がいれば、会社も働く側も双方がより働きやすくなる環境が生まれてくるのです」
そのためにも、まず心の病についてありのままを知ることだと渡辺は強調する。何ができて、どのような症状に困っているのかを本人も上司も把握する。たとえば、認知機能障害で注意力が低下していると、普通の人の半分ぐらいしか仕事ができない、といったことをあらかじめ知っておくだけでも大事だという。
「個人差はあっても、彼らに何ができるのか、そして彼らがどうしたいのかを知る。おそらくこれは病気に関係なく、どんな人も仕事上で必ず確認することですよね。雇用する側もされる側も、相互に理解を深めることが大事だと思います」
今自分の心が弱っている、おかしいと感じた時の対処法として、渡辺は次のようにアドバイスした。
「まずは自分で抱え込まず、家族や友達に話してみるのは一つの方法です。話を聞いてもらうことで心が軽くなることもあります。家族や友達に言いにくいなら、心療内科やメンタルヘルスへ気軽に相談してもいいでしょう。自分のことを話すのに、知らない他人だったらかえって話しやすいこともあるかもしれません。より深刻になってしまうと、治りにくくなることもあります。早期に自分のメンタルと向き合うのは、とても大事なことなのです」
加藤ゆう里
ヤンセンファーマ株式会社 取締役CFO 経営企画本部本部長 事業開発本部 本部長
慶応義塾大学を卒業後、日本で新日本製鐵、アクセンチュアでのファイナンス部門勤務を経て2003年に渡米。約10年の米国企業勤務を経て帰国後、日本マイクロソフトなどを経て、2018年8月にヤンセンファーマ入社。2019年3月より現職。
渡辺 小百合
ヤンセンファーマ株式会社 研究開発本部 クリニカルサイエンス統括部 臨床開発部 中枢疾患領域 アソシエイトディレクター 薬学博士
東京大学大学院薬学系研究科博士課程取得。武田薬品工業 創薬研究所 primary scientistを経て現職。研究テーマは、「アルツハイマー病におけるタウたんぱく質の凝集、伝搬仮説について」「統合失調症の回復期の治療について」など。
▶ヤンセンファーマ株式会社
▶統合失調症ナビ