あの時の新発明はどこに行ったのか?

ターンテーブルに載せたソノシート(vvoe / Shutterstock.com)


テクノロジーと生命の進化


人類が発明したテクノロジーは石器や言語から始まりインターネットに至るまで、一体何種類あるのかもわからないが、それらを並べて歴史的に通観してみると、驚くべきことにまるで生物の進化を見るような変化を遂げているのが分かる。

古くから使われている石器、農機具から兵器、自動車、コンピューターやウェブのデザインに至るまで、同じ種類のテクノロジーには様々なバリエーションがあるが、場所や時代に固有の共通性もあり、人気商品のデザインを借りたりパクったり組み合わせたり改良したりした類似品が数多くある。

甲冑に興味を持つ動物学者のバッシュフォード・ディーンが、600年代から1000年間にわたるさまざまな中世ヨーロッパの兜を分類して関係するものをつなげてみると、なんと生物の系統樹のようにデザインが進化している姿が浮かび上がったという。

あるテクノロジーの発明は人為的なものと考えられているが、生物種が発生するように、一人の天才が単独で思いつくというものではなく同時多発する。エジソンの電球にしても、同時代に23人もが「発明」しており、電信や電話、写真やコンピューターまで、何人もの人が思いついて実用化しようと必死に努力し、特許論争や市場で敗れ、結局一人だけの発明者の名前が残るというのがこれまでの歴史だった。


1882年電気博覧会(パリ)の4種類のランプ:エジソン、マキシム、スワン、ワーダーマン。(Marzolino / Shutterstock.com)

こうした人間の作った過去の様々な物の多くは、まるで恐竜やマンモスのように絶滅してしまったが、生物と違って完全にこの世界から消えたわけではない。現在は一般的ではない昔の発明もどこかに残っている。石器時代の石斧でさえネットで売っており、蒸気自動車だって買えるし、骨董品として却って価値が増したものさえある。

人類最古の発明とも言える火(の利用)にしても、電気によって照明や調理のためのテクノロジーとしては滅びてしまったが、ランプやロウソクや暖炉の火は、今では生活にちょっとした潤いを与えてくれる、実用性を超えた新しい価値を獲得している。

デジタル時代の情報誌「WIRED」を創刊したメンバーのケヴィン・ケリーは『テクニウム』の中で、テクノロジーは自然とかけ離れた人為的なものではなく、生物の発生時からずっとあり、これからも人間と共生しながらともに進化していく宇宙に普遍的な存在ではないかと考える。

環境問題では野生生物の絶滅危惧種が話題になるが、地球上にいるとされる約3000万種の生物のうち絶滅するものが加速度的に増えていると考えられ、恐竜時代には1000年に1種の割合だったものが最近は10分程度で1種とも言われ、将来はさらにそれが10倍加速するともされている。

最新のデジタル化したガジェットやソフトも生物種のように進化しては絶滅しており、その出現と絶滅のサイクルは機械が電子化しただけ短くなり加速していると言えるだろう。

一般化したとみなされる25%程度の普及率を達成するのに、自動車は約60年、電話は40年、テレビは25年、パソコンは15年ほどかかっており、携帯電話は10年、インターネットは5年と、最新のものになるほどあっという間に普及しては世代交代していく。

こうした時代の世界を支配するのは、テクノロジー乱立の超使い捨て社会なのか、イノベーション自体が加速する、イノベーションのイノベーション時代なのかはわからないが、逆にこうした速い流れを生み出している人間の持つ性質や、いくらテクノロジーが普及しても忖度や炎上を繰り返す人間の、古くから持つ不変的な何かを理解することのほうが大事なのではないかとも思える。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
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文=服部 桂

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