(前回の記事:トヨタを抜いたテスラ 100年に一度の変革期に豊田章男が掲げる「理想」)
3回目は、章男と意外な共通点をもつイチローが登場。2人は知人を通じて、2014年1月に出会った。章男にとって、イチローは素顔をのぞかせ、共鳴し合える相手でもある。その関係性から見えてくる、章男の心の内に隠された思いとは──。
章男がドライバーとして走る理由
豊田章男はなぜ、ドライバーとして走り続けるのか。それは、イチローがバッティングフォームを磨き続けるのと同じだ。
イチローは現役時代、毎年、バッティングフォームを変えてきた。首位打者になっても、安打数が過去最多を記録しても、イチローは次の年にはバッティングフォームを変えてしまう。バッティングフォームに完成形はない、いまより前に進むには、つねに新しいチャレンジが必要だと信じている。
イチローは、かつて章男にこう語ったことがある。
「僕は、プロ野球生活の28年間、同じバランス、同じ形のバットを使い続けているんです」
不調の原因をバットのせいにすることなく、原因は自分にあることを明らかにするためである。
ルーティンを繰り返し、真摯に己を見つめつつ、自らを鍛え続けるその姿は、道を究める求道者そのものだ。日米通算4367安打の一本一本は、人並みはずれた努力の蓄積の結果である。
イチローは現役時代、キャンプが終わったあと、己との厳しい闘いの痕跡をとどめ、傷だらけになったバットとグラブを何度か章男にプレゼントした。章男は、そのバットとグラブをトヨタの野球部員と女子ソフトボール部員全員に見せて、触れさせた。そして言った。「何かを感じなさい」と。
体育会系の彼らは、傷だらけのバットとグラブに触れて、とことん本質を見極めようとする、イチローの求道精神を感じとったに違いない。
野球を知らない人に野球は教えられない。同じように、ドライビングを知らずして、クルマを正しく評価することはできない。
「運転の基本もわかっていない人に、ああだこうだといわれるのは迷惑だ」
豊田章男にそんなキツイ一言を浴びせたのは、トヨタの300人のテストドライバーの中でも「トップガン」といわれるひとり、故・成瀬弘だ。
成瀬がキツイ言葉を放ったのは、将来社長になる章男に、クルマの良し悪しがわかるトップになって欲しいという強い思いがあったからにほかならない。当時、46歳で常務だった章男は、成瀬に自ら弟子入りして、遅まきながらドライビングを学び始めた。
ブレーキングやコーナーのライン取りなど、成瀬からドライビングの基本を学んだ章男はやがて、ニュルブルクリンク24時間耐久レースに出場するまでの腕前を身につける。ニュルは、ドイツ西部の山岳地帯に設けられた、世界一過酷といわれるサーキットだ。同耐久レースは、プロ、アマを問わず、200以上のチームが参戦し、時速200キロを超えるスピードで走り、走行距離を競う。