──ビジネスモデルとしては不動産が中心ですか?
そうですね。基本的にはマンションや低層住宅の販売、フードコート運営やショッピングセンターの商業施設事業、サービスアパートメントの運営などです。
一方で、街づくりに必要な小さなイベントなども、すべて自社で行なっていたりします。日本の祭りのようなイベントや、地域の伝統工芸の作り手さんを招いてのワークショップ、川崎フロンターレとのサッカー大会や孤児院訪問、少年野球の大会にいたるまで、規模は小さくても住民の方にワクワクしてもらえるようなプロジェクトを常に開催しています。
当然、私自身の仕事も毎日異なります。ショッピングセンターの開発計画を練っている日もあれば、マンションを販売していることもありますし、台湾人学校の誘致を行ったり、フードコートのたいやき屋台の企画、周辺の工業団地企業さんへの賃貸住宅営業、地元の方々とのゴミ拾い活動などさまざまです。
日本と違い事業のセグメントが整っていませんし、リソースにも限りがあるので、大小すべての事業ドメインに関わりながら、エキサイティングな毎日を送っています。
日本の祭りを再現したイベント。盆踊りのレクチャーに多数のベトナム人が集結
──日本とまったく違う環境の中で、ビジネスはどのように進めていますか?
とにかく早く形にして、結果を出すことにフォーカスしています。日本では精度の高い企画書を作り込み、綿密な予算を組み、関係各所に根回しをしながら、じっくりプロジェクトを進められますが、ここではそうはいきません。もの凄いスピードで街が開発されていくので、どんどん新しいプロジェクトを立ち上げては、フィニッシュさせていく必要があります。
大きなプロジェクトでも、企画書すらなく、チャットでやりとりしながら、とにかくアウトプットしてくものもあります。走りながら形にしていくというWeb的な動きを、リアルで行っているというイメージです。
しかもほとんどのことは、日本のようにスムーズにはいきません。社内は日本人とベトナム人だけではなく、欧米や韓国、台湾とさまざまな国の人が一緒に働いています。英語のコミュニケーションですし、各国の価値観も違うので、意思疎通がとにかく大変。協力してもらうような関係値を築き、求心力を身につけないとプロジェクトはドライブしません。私自身もまだまだ腕を磨く必要があると痛感しています。
──そのような状況の中で、結果を出すコツはありますか?
多様性を受け入れ、マイノリティの意見をきちんと聞く寛容さですね。まずは、自分自身がマイノリティだということを認識しなければなりません。ここではいろいろなバックグラウンドの人がいますが、やはりメインはベトナムの方々。日本人の思い込みやトップダウンですべて落とすのではなく、現地メンバーの意見をきちんと吸い上げて尊重し、時にぶつかり合いながら、チーム一丸となってゴールを目指すことを意識しています。
日本ではコミュニケ−ションは当たり前にとれますし、阿吽の呼吸でプロジェクトを進めることができます。もちろんアウトプットのクオリティも総じて高い。ベトナムでは判断する情報も少ない中で様々な意見をまとめ上げ、ギリギリのせめぎ合いをしながらアウトプットしていくので、平均点は日本より低い部分もあるかも知れませんが、時に「これは!」 というイノベーションが起こることがあります。