記事にあるように「呼吸器のチューブを外して殺した。私がやったことは人殺しです」という自白には、ストレートで強烈なインパクトがあった。報道した時点では彼女が誘導され、自ら語ったことだと取材班の誰もが思っていた。それが、まさか、A刑事による〝ねつ造〟だとは想像もしなかった。真相を聞かされたのは、彼女が出所してすぐのことだった。
「外した」と「殺した」の違い
「なぜ自分から『殺した』と言ったんですか?」
私の質問に西山さんはこう答えた。
「私は『外した』とは言ったけど『殺した』とは言ってないんです。でも(取り調べた刑事の)Aさんに『外したなら殺したのと一緒のことやろ』と言われて反論できなかったんです」
刑事が書いた供述調書には、最初から腑に落ちないところがあった。
調書には「殺した」とあるのに、同じ日、彼女に書かせた自供書には、決定的なそのひと言がなかった。自白に頼るケースでは、自供書を書かせて裁判での心証を有利に得ようとする傾向がある。娘殺しの汚名を着せられた東住吉事件の冤罪被害者、青木恵子さんも、逮捕直後に心が弱り切った状態で書かされた自供書が有罪判決の決め手になってしまった。
取調官なら、決定的な「殺した」の一言は自供書を書かせるときに外せないはずだ。西山さんに書かせた上申書、自供書、手記などは56通もあるのに、肝心な逮捕直前の「殺人の自白」という決定的なひと言をなぜ書かせなかったのか。西山さんの話で、ようやくその疑問が解けた気がした。
「呼吸器のチューブを外して殺した。私がやったことは人殺しです」
A刑事が書いた供述調書のこの言葉のうち「チューブを外して」までは、自筆の自供書にもあり、出所後に西山さんも認める通り、混乱した状況で、確かに彼女が語った言葉だったのだろう。だが、「殺した」から「人殺しです」に至る部分は、刑事の〝解釈〟による作文、つまりねつ造であることが後から分かったのだ。
そして「事件」発生から1年を過ぎた、2004年7月2日の夜、捜査本部の誰ひとり想像していなかった「殺人事件」の立件へと、突然走り出すことになった。
連載:#供述弱者を知る
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