その理由を、弁護士あての手紙で「なっていいひん(=いない)もん(を)なったとは言えんと抵抗してましたが/(A刑事が)机をバンとしたりイスをけるマネをしたり」と書き、大阪高裁にあてた再審の上申書では「(死亡した患者の)写真をならべて/机に顔を近づけるような形に頭を押し付けてきました。こわくてたまらなかった」と訴える。(中略)
Aの好意を受け続けようとして1カ月近く「鳴った」と言い続けた彼女は、当夜の当直責任者の看護師に「(アラームを)聞き逃した」という追及が日ごと激しさを増していると知って責任を感じ、供述を撤回しようと「実は鳴っていません」と書いた手紙を携え、何度も警察署を訪ねている。
「自白」の1週間前には午前2時10分という尋常ではない時間に手紙を届けた。だが、警察はがんとして「撤回」を受け入れず、「居眠り看護師による過失致死」事件に向かって突き進んだ。袋小路に陥った彼女は「鳴っていた」ことにして、同僚を救うしかなくなった。それが「自分のせいにする」ことだった。
自供書と供述調書では、明らかに供述内容の変遷があった (Unsplash)
殺害の自白をする2日前に書いた自供書にはこうある。
「やけくそで布団をかけたら、なんかジャバラ(呼吸器の管)がはずれたような気がした」
自白した日の自供書ではこう変わる。
「呼吸器のジャバラの部分をひっぱってはずしました」
同じ04年7月2日、A刑事が書き上げた供述調書は最終的にこうなった。
「呼吸器のチューブを外して殺した。私がやったことは人殺しです」
これを判決は「極めて高い自発性がある」と決め付けるが、そうだろうか。「アラームが鳴った」という誤ったことを半ば暴力的に言わされ、強要され続けた「うそ」を前提にした自白は「自発性」を論じるに値するのか。夜も眠れないほど悩み、取調室で自滅していくように出た言葉を「自ら供述した」と額面通りには受け取れない。
「アラームはなっていたとうそをついたらどんどんうそになってわけのわからなくなってしまいました」(05年8月の両親への手紙)
自白する日の午前中、彼女は病院の精神科を訪れた。「不安神経症」と診断した医師との問診で、驚くべき言葉がカルテに残されている。
「実はアラームが鳴っているのを聞いた。看護師さんが鳴っていないと言うのであわせていた」(中略)最後の言葉は「うそを続けられなかった。自分は弱いのか?」。うそと本当が倒錯した問いをカルテの最後に見た専門家は言う。
「うつ状態。いつ自暴自棄になってもおかしくない」
自白の供述は、診察の数時間後だった。(角雄記)
※中日新聞2017年5月21日、呼称、年齢は掲載時
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