はじまりは新卒3年目の「意図しない転職」。人生と仕事の関係性を模索した20代

Rapyuta Roboticsで働いている 徳永康彦氏



自然が豊かな環境での子育て。奥には富士山が望める

こうした経験からも、人生においてもっとも重要なことの1つは「自分の意思で選択する勇気を持つこと」だと思っている。

「35歳・会社員」という、いたって普通のキャリアパス。ただ結果として、大学卒業から12年でMBA留学1回、転職4回、そして冒頭で紹介した移住を経て今に至っている。その選択一つひとつに背景があり、転職は選択であるという考えも同時に持っている。

これがもし、キャリアを悩んでいる方々へ1つの示唆になるのならと思い、私のこれまでについて書かせていただくことにした。

新卒入社、そして会社の解散......全く意図しなかった初めての転職


最初の転職は、私が意図したものとはかけ離れていた。むしろ意図していないものだった。

2008年、とある小さな都内のソフトウェア開発兼ITコンサルティング企業に入社した。資本はアメリカだったので外資系。しかし、多くの人がイメージするような「ピカピカの外資系」という感じではない、中小コンサルティング企業だ。

さまざまなプロジェクトでコンサルタントとして仕事をし、ビジネスパーソンとしての基礎を叩き込まれた。素晴らしい先輩、同僚に恵まれた。しかし3年近く経った時、残念ながら日本のオフィスは本国の意向により事実上の解散をすることになった。突如として、自分の次の道をなかば強制的に考えさせられることになった。

選択の道は2つあった。

その会社でプロジェクトを共にしていた何人かのメンバーが設立したコンサルティング企業へ入るか、見知った人もいない外の環境へ出てみるか。

私は迷いに迷って後者を選択することにした。これがはじめての転職活動であり、その後のキャリア選択においても転機だったといえる。しかし、この転職活動はお世辞にも全然良いものではなかった。


リモート勤務をする現在、自宅は妻の実家にも近い。実家近辺の風景

「コンサルタント」が誰でも、綺麗に転職できる訳ではない


転職活動でまずぶち当たったのは書類の壁。なかなか、選考を通過できなかった。

レジュメや職務経歴書など、書き方をまったく知らなかったのも原因ではあると思う。ただ同時に、無名の会社の新卒3年目、25歳のコンサルタント──それ以下でもそれ以上でもなかったのも事実だと思う。際立った数字で個人のパフォーマンスを表すこともできない。そんなレジュメであった。

コンサルのジュニアだと、自力でなにかのパフォーマンスを示すというのは少し難しい。採用する側としては「この人何ができるんだろう?」という状態であったのは明白だ。受ける企業は軒並み書類落ち。面接にも呼ばれない。

やっとのことで書類が通り、一社から内定をいただいたが、新卒の頃よりも低い金額(今でも覚えているが年収300万)でのオファーだったのでそこは断ることにした。

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文=徳永康彦

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