はじまりは新卒3年目の「意図しない転職」。人生と仕事の関係性を模索した20代

Rapyuta Roboticsで働いている 徳永康彦氏


コンサル時代、めちゃくちゃ働いて、エクセルではマウスなどもちろん使わずにショートカットキーを駆使、VBAマクロを組んでデータなどの自動処理も当たり前のようにできる。パワーポイントでの資料作成や議事録、ミーティングのファシリテーションなど、これまでの3年間で求められてきたことはそれなりにできるようになった。

しかし、「あなたの価値は?」と聞かれると答えられない。

「何ができますか?」「どんな企業で働きたいですか?」「何がしたいですか?」

転職エージェントに行くとそんなことを問われ続けた。実はその当時、心身ともにボロボロだった。

転職活動と並行しながら、解散する会社の撤退処理を行った数ヶ月間。自覚がなかったが、家族にも急激に老けたと言われるくらい疲弊していたようだ。

書類選考も通らず、撤退処理ではいろいろな厳しいことを経験し、ほぼ全ての自信を失っていた。そんな中で何がしたい、何ができると問われても、「私はこれができます!」と、自信を持って答えられる心の持ちようではなかった。

そんな中でも強く決めていたことがあった。

それは「成長業界で、グローバル展開に関わる仕事」に携わること。これは心の底からの思いだった。撤退処理を経験したからこそ、解散や倒産の可能性が低い成長企業で働こう、そう決めていた。

思わぬきっかけで急成長中のベンチャーに行けるチャンスが


そんな矢先、私に手を差し伸べてくれたのは「英語」と「プライベートのつながり」だった。大学のひとつ上の先輩がたまたま声をかけてくれたのだ。

「トク、グリー受けてみない?英語話せるんだっけ?グリーンカード(米国の永住権)持ってるんだっけ」

グリーは2011年当時、グローバル展開へ向けて急成長していた企業の筆頭だ。そして、自分もユーザーとしてサービスを初期から使っていた会社の面接に呼んでもらった。短期留学こそしたことはあれ、大学まで日本で育った私はもちろん、グリーンカードなんて持っていない。

そして訪れた面接の場。「グローバルの仕事がしたいということなので、英語で面接しましょう」

面接官に突然そう言われ、英語面接が20分くらいなされた。外資系企業の日本オフィス撤退作業という思わぬ仕事のおかげもあってか、それなりに耐える力はついていたようでなんとか乗り切った。

まさか誰もが知る急成長中の会社に入れるとは思ってもいなかったので、内定の連絡を受けた瞬間は嬉しさでいっぱいだった。英語が救ってくれた。そして、人の縁が救ってくれた。

そうとう踏ん張った撤退処理も少し残っていたが、私は2011年3月に他のメンバーより一足先に退職した。これが私にとって最初の転職だ。

企業のブランディングや採用活動に役立つ情報を配信中
次ページ > 転職で得た、未曾有の事態にも通ずる「教訓」

文=徳永康彦

ForbesBrandVoice

人気記事