カメラを通して見えてきたことは? 映像ジャーナリスト伊藤詩織に「10の質問」

映像ジャーナリスト 伊藤詩織さん


──最新作の短編ドキュメンタリー「娘の顔が見えない」は、なぜつくろうと思ったのか。

まず、目の見えない人たちが運営に携わる、暗闇を体験する施設「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってみた。8人くらいのチームで暗闇に入ったのだけれど、私は自分が見られていないことの心地良さを感じ、感覚が研ぎ澄まされていくようだった。そして、見えないことで誰かに頼らなきゃいけないという体験がとても尊く思えた。そして案内してくれたスタッフの「くらげちゃん」はこんなことを最後に言ってくれた。

「これからみなさんが見る景色が、素晴らしいものでありますように」って。

これから私たちが外に出て見る景色は綺麗なものだけど……、すごく複雑な気分になった。視覚障害のある人たちと話して、学ぶことが多かったので、作品にしたいと思った。

──「娘の顔が見えない」は、突然視力を失った男性、石井健介さんの家族を中心に追った作品。家族の生活を撮っていて、見えてきたことは何か。

目が見えなくても、家族の形は全然何も変わらないと思った。とにかく小さな子供たちが可愛かった。石井さんは、目が見えなくても、子供たちの目線に合わせて話すようにしていた。人として心から尊敬している。そして、心のこもった言葉を紡がれる方だった。

伊藤詩織さん

──詩織さん自身は、コロナ禍で長期間日本に帰ったのは約10年ぶり。久しぶりに帰ってきて、どう思ったか。

それまで自分自身に対するノイズが大きく聞こえてしまうところがあったから、海外にいることでバランスをとっていた。だけど、日本でも仕事をしていくなかで、信頼できる仲間や友人たちができて、想像以上になんとかなっている。いままでできなかった取材ができているのは、すごく貴重なことだと感じている。

周りからは「もっと怖い人だと思った」とよく言われる(笑)。前は「被害者は笑顔を見せちゃいけない」という意見もあったから、そんなイメージなのかな。

──詩織さんにとって「スロージャーナリズム」はなぜ大切?

ロイター通信のような情報やニュースを確実に出していくところからキャリアが始まったので、そこでできなかったことが、いまの映像ジャーナリストになるきっかけになった。

デビュー作の『Lonely Death』も3分間の孤独死を伝えるニュース映像をきっかけに、1年間かけて企画からドキュメンタリー制作まで行った。取材相手の若い女性清掃人が何を考えているのか? 孤独死の人たちがどんな生活をしていたのか? ひとつひとつ丁寧に伝えたかったから。ひとつのニュースに対して、時間をかけて取材ができるのはドキュメンタリーだと思う。そのニュースをどう見ていくか。もう1歩、2歩先の視点で見たいと感じている。

──今年はSNSで誹謗中傷を受けて自殺するというニュースが続いた。詩織さんは、それに対して訴訟を起こすなど、法的措置のため動き出したが、いま伝えたいことは。

法改正やプラットフォームの問題もあるが、アメリカに行って気づいたのは、日本の教育では議論の仕方を教えてこなかったということ。誹謗中傷と批判は全く違う。そこのラインを見極めて、考える必要がある。誹謗中傷を減らすためにどうすればよいか考えながら、これからも広く社会に伝えていきたい。

前編:伊藤詩織、映像ジャーナリストとして生きる。現実から見出す、小さなともし火

文=督あかり 写真=Christian Tartarello

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