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2020.12.10

サッカー引退後にシリコンバレー、マレーシア。酒井潤と阿部博一の選択

左から:阿部博一氏、酒井潤氏


阿部:俯瞰という点でいうと、サッカーを辞めるとき、サッカーの何がなくなるのが嫌なのか、怖いのかをよく考えました。自問自答を繰り返すなかで、僕は毎日勝負していく感じが好きだとわかったんです。

V・ファーレン長崎では、毎週30人近くから18人のメンバーが選ばれます。僕は毎回当落線上にいたので、いつもヒリヒリしていました。それが心地よかったんです。でもその感覚って、サッカーでなくても得られるんですよ。それに気付けたことも大きかったと思います。


阿部博一氏

酒井:
私は、サッカー以外で何をしようかと考えたときに、まず、将来家族を養えるように効率よく稼ごうと考えました。それが結果的に、やりたいことへの近道に繋がったと思います。やりたいことが特にない人も多いと思いますが、まず稼ぐ力を身につけてからやりたいことを実現していくというのも、選択肢の一つとしてお勧めしたいです。

阿部:なるほど。今の話を聞いて、腑に落ちました。というのも、酒井さんのサッカーの辞め方って、特異だと思うんですよね。ガンバ大阪やFC東京からオファーを受けていたと聞きましたが、そのような状況で辞めるというのは、多くの人にとっては理解できないと思うんです。酒井さんは怪我されて本領が発揮できないと見越していたとはいえ、中には、「サッカー選手になれたら良い」という人もたくさんいますからね。

竹崎:お二人とも、サッカーそれ自体ではなく、その奥にある、何を実現したいのか、というところを客観視したことがセカンドキャリアに繋がっているんですね。

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竹崎:次に、お二人のセカンドキャリアについて詳しく伺おうと思います。お二人とも大学院に進学されていますよね。酒井さんはプログラミングを、阿部さんは国際関係を専攻されています。次に勝負する分野は、どのような思考で絞り込んでいかれたのでしょうか。また、その選択自体が良かったのか、それとも選択した後のアクションが今の活躍につながっているのかもお聞かせください。

阿部:元サッカー選手というのは、転職市場では特異なキャリアだと思うんです。僕が卒業した北海道の道都大学は、有名校のように偏差値が高いわけではないし、サッカーを引退した当時、僕は25歳だった。日本社会においては、学歴や年齢も重視される一面があると感じていたので、僕みたいなキャリアの人が次の段階で勝負するとなったとき、何者かにならないといけない、ゲームチェンジャーが必要だ、と思っていたんです。

その答えとして、アメリカの大学院で修士をとることを選びました。アメリカの大学院修士があることで、次のキャリアにエントリーしやすくなると考えたんです。

酒井:国際関係を専攻されていますが、当時、英語は不安じゃなかったんですか?

阿部:もともと僕は、高卒でプロ入りすることを目指していたのですが、それが叶わずに大学へ進学したという経緯があります。つまり、大学に行くのは、不本意なプランBだったんですね。そこで、せっかく時間を与えられたのだから、大学在学中にサッカー以外の何かを身に付けたいと思って始めたのが英語だったんです。大学卒業時点で、アメリカの大学院に行けるくらいの英語力は身についていました。

酒井:早い段階で勉強にも力を入れられていたんですね。私は社会人2年目のときにTOEICを受けましたが、300点台でした。

阿部:ご存じのとおり、TOEICの点数が実際の英語力を測るたしかな指標だとは思いませんが、就職時にハッタリにはなりますよね。
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文=伊藤みさき 構成=竹崎孝二

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