ビジネス

2020.12.10

サッカー引退後にシリコンバレー、マレーシア。酒井潤と阿部博一の選択

左から:阿部博一氏、酒井潤氏

私は米アマゾンをはじめとする多国籍企業で働いてきましたが、日本人にはグローバルで活躍する大きなポテンシャルがあると確信しています。同時に、グローバルで活躍したいと考える個人や企業をエンパワーしたいという思いも一層強くなりました。

これまでのコラムでは私の経験や考えをシェアしてきましたが、海外では様々な分野で活躍する日本人が多くいます。そうした具体的な事例や経験を紹介していくことで、参考になるノウハウや考え方がよりに多角的に抽出できるのではと考え、今回は二人のゲストを迎えました。

1人目は、2001年にU-21 サッカー東アジア競技大会に日本代表として出場、金メダルを獲得した酒井潤氏。怪我によりサッカーを引退し、現在は、シリコンバレーを代表するIT企業Splunk(スプランク)にてシニアエンジニアとして活躍しています。YouTube等との複業で5千万円を超える年収を稼ぐ、異色のビジネスマンです。


酒井潤氏

2人目は、V・ファーレン長崎にてプロ契約を含めて3シーズンプレーした阿部博一氏。引退後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で国際関係学修士号を取得し、現在はマレーシアにある国際機関・アジアサッカー連盟で審判部のヘッドを務めています。海外スポーツ界に挑戦する若者をサポートするため、仲間とSPORT GLOBALを立ち上げました。国際スポーツの舞台で活躍しています。


阿部博一氏

アスリートから、畑違いであるグローバルビジネスのキャリアへの転身。ユニークなキャリアではありますが、「挫折を行動・エネルギーへ転化する思考法」や「何かに打ち込んだ経験を全く異なる分野へ応用する思考法」は、あらゆる分野で応用可能なノウハウだと考え、ゲストの二人に、打ち込んできたサッカーのことやセカンドキャリアについて取材。3回にわたって、対談をお届けします。


挫折したら俯瞰して客観視する


竹崎孝二(以下、竹崎)お二人は元サッカー選手というユニークなキャリアをお持ちですよね。また、共通点として、もちろん最終的に引退を決断されたのはご自身ですが、怪我や戦力外通告など、自身の意に反して現役を引退したことが挙げられると思います。

サッカーが続けられないとなったとき、一体どのように次の目標に向かって気持ちを切り替えたのでしょうか。それは時間をかけたプロセスだったのか、それとも、何かしらスイッチが入るきっかけがあったのかについても教えていただきたいです。

酒井潤氏(以下、酒井)私は左足の靭帯を切ってしまい引退したのですが、実はあまりショックは受けませんでした。なぜなら、大学時代に国際大会で海外に行く機会があって、いろんな出会いがあったからです。

例えばインドの寺院には、お金がなくて死ぬのを待つしかない子供たちがたくさんいました。悪いことをしたらバチが当たると言われますが、悪いことをしていないのに亡くなる人がいる。そういう現実を目の当たりにすると、サッカーができなくなるくらいどうってことないなと。
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文=伊藤みさき 構成=竹崎孝二

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