人間は最終的には精神力です──工藤公康流「常勝」の法則

Photo by The Asahi Shimbun/Getty Images

プロ野球の日本シリーズで2年連続の4連勝という圧倒的強さで日本一となった福岡ソフトバンクホークス。選手たちの素晴らしい活躍はもちろんですが、同時に高い評価を得ていたのが、監督としてチームを率いた工藤公康さんです。

選手の育成、マネジメント、起用、さらには采配……。なぜ、工藤さんはこれほどまでに強いチームをつくり上げることができたのか。

最優秀選手2回、最優秀防御率4回、ベストナイン3回、ゴールデンクラブ賞3回、日本シリーズMVP2回、40代での200勝達成など数々のタイトルを持ち、西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人、横浜と4つのチームで活躍した現役時代のインタビューに、その秘密を見つけました。

野球で食べていくことを考えた


もともと工藤さんが野球選手になったきっかけは、父親の野球好きでした。自分も野球をやっていて、練習相手が欲しかった。それで、息子に野球をやらせたのです。ところが、工藤さんは自分の好きな遊びがしたかった。野球がうまくなれば、早く遊びに行けるのではないかと考えたというのです。

「それで、どうすればうまくなれるのかを、小学校の頃から必死で考えるようになったんです。人が1カ月かかるものを1週間で、1週間かかるものを1日で、1日かかるものを1時間でやろうと思いました」

速い球を投げるには、コントロールをよくするには、どうすればいいか。いろいろな工夫をしたと言います。フォームの研究にはプロ選手の写真を参考にする。影を見ながらシャドーピッチングする。自分で考えたのです。

「家は裕福とはいえませんでした。自分が親になったとき、子どもには同じ思いをさせたくない。早くからそう思っていました。だから、中学くらいですでに野球で食べていくことを考えていました。野球で成功するしかないと」

高校(名古屋電気高校)時代、練習はハードで先輩も厳しかったといいます。しかし、逃げるわけにはいきませんでした。野球しかないと決めていたからです。

「結果的に、このとき厳しい環境に身を置けたことは幸運だったと思っています。強い身体の基礎をつくれた。一度、高いレベルで身体づくりをすれば、以降もそれが基準になって身体をつくれるようになります」

このおかげで、長く現役でいられた(29年間)と工藤さんは語っていました。
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文=上阪 徹

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