ショーン・コネリーのジェームズ・ボンド 「007」を振り返る

愛車のアストン・マーティンDB5の隣でポーズを決める、ショーン・コネリー演じるジェームズ・ボンド。1964年にユナイテッド・アーティスツが配給した「007 ゴールドフィンガー」から。Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

ショーン・コネリーが10月31日の朝に90歳で亡くなった。彼は、「007映画」とも呼ばれるスパイアクション・シリーズの6作品でジェームズ・ボンドを演じて大スターになった(最後の作品から10年後に製作会社の異なる非公式ボンド作品1本にも出演しているが)。このシリーズが現代アクション映画の先駆けとなり、大ヒットしたことはいまさら言うまでもないだろう。

コネリーはボンドを演じている間も降板したあとも、まずまずの作品から一級品まで(「王になろうとした男」「ロビンとマリアン」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「ザ・ロック」「マイ・ハート、マイ・ラブ」「小説家を見つけたら」など)数多くの映画に出演したが、彼をスターにしたジェームズ・ボンドという役柄は、ハリソン・フォードのハン・ソロやインディ・ジョーンズと同様、コネリーが映画界に残した遺産のひとつになった。

実は、私は今年の3月に007の26本すべてを見直した。「007映画ランキング」を作り、ダニエル・クレイグ主演の「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の公開に合わせるつもりだった(当時、11月20日に公開延期が決まっていた)。残念ながらこのシリーズ25作目の公開は再延期され、いまのところ2021年4月2日に予定されている。

それはそれとして、ここでショーン・コネリーをポップカルチャーのアイコンにした7作品についてまとめてみた。例によって順位に異を唱える読者も少なくないだろうが、そこがランキングの面白さなのではないか。今回はその前編。

> 後編「ショーン・コネリーの『ボンド映画』7選 最高の名作は?」はこちら


「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)

世界興行収入:1.16億ドル、製作費:720万ドル

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イアン・フレミング原作、ガイ・ハミルトン監督の「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)で、主役を演じるショーン・コネリー。(Photo by Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images)

ジョージ・レーゼンビー主演の前作、「女王陛下の007」が期待したほどの評判を得られず、レーゼンビー自身も二番煎じに乗り気ではなかったために、イーオン・プロダクションズとユナイテッド・アーティスツは150万ドルという破格の出演料を払ってショーン・コネリーを呼び戻した(コネリーはこの金を慈善事業に寄付したと伝えられている)。

ところが、明らかにやる気のないコネリーのとってつけたような演技のせいもあって、ラスベガスを舞台にした、わざとらしい気の抜けたどたばた劇になってしまった。登場人物に重きをおいたコメディ要素の強い大げさなメロドラマの設定に、まるで「型どおりの」展開が追い打ちをかけている。

「女王陛下の007」の主役にコネリーを起用したほうがよかったのかどうかは議論の余地があるが、「007 ダイヤモンドは永遠に」については、もしレーゼンビーが殺された妻の復讐のために戻ってきたという設定にすればもっと優れた作品になったのは確実だ。少なくとも、投げやりとしか思えない映画にはならなかっただろう。

公平を期すために言えば、確かにこの映画も、ボンドは妻のトレーシーの復讐をするつもりでブロフェルドを追跡するところから始まっている。そのおかげで、今度ばかりはボンドが女王と国家のために献身的に働かなくても不自然ではない。

チャールズ・グレイは退屈なブロフェルドを演じ、ジル・セント・ジョンは(彼女に責任はないのだが)見る者を楽しませながら主人公の任務の価値を高めるボンドガールの役割を果たしておらず、コネリー本人はのんびりと動きまわっているだけ。

他の出演者を圧倒するような存在感を示す“問題の多い”(だが、愉快な)ゲイの殺し屋を演じたブルース・グローヴァーとバター・スミスを除けば、めったにないほど凡庸な本作に推賞できる要素はほとんど見当たらない。ボンドシリーズの中でも最悪の部類に入るかもしれない。完全主義のマニアでさえ、見たり購入したりする価値のない唯一の作品である。
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翻訳・編集=中田しおみ/S.K.Y.パブリッシング/石井節子

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