「わしがガイドを始めた1960年代は、1ドル=360円の時代。1980年代になると円高になり、1990年代には一時1ドル80円になった。これではもう仕事は続けられない。あの頃は、土方でもなんでもやりましたよ」
しかし、21世紀に入って状況は変わる。訪日外国人が急増し、岡田さんは、東日本大震災の翌年の2012年5月、ガイド業を再開する。20年ぶりだったという。時代は再びジョー岡田の斬新なガイディングを必要としたのである。
ところが、待望の2度目の東京五輪の年である今年、今度はコロナ禍が急襲した。
2017年5月、岡田さんは、英文ガイドブック『BEYOND SIGHTSEEING-The Ultimate Guide to JAPAN』を自費出版している。同書は、いまから50年以上前の1966年に一度刊行され、通訳ガイド必携の虎の巻として好評を博し、1991年までに12版を重ねた日本案内書『THIS IS YOUR GUIDE SPEAKING』を、2年がかりで大幅改訂した渾身のニューバージョンだ。
岡田さんの人生の集大成『BEYOND SIGHTSEEING-The Ultimate Guide to JAPAN』
同書にまとめられた題材は、超簡略した日本史から日本の自然や風俗習慣、食文化、宗教、サブカルチャー、社会生活、教育、人生観に至るまでをカバー。岡田さんがこれまで出会った何千何万人という外国人観光客とのやりとりで何度も聞かれたであろう質問に対する、当意即妙な回答が収められている。
同書を刊行した理由について、彼は今日のガイド業務がかつてと比べ大きく変わったせいだと言う。
「インターネットが世界を変えた。当時の仕事の受注先は、旅行会社が40%、外国人のツアコン30%、国内の観光ガイド30%という比率だったが、いまでは予約はたいていインターネットです。お客さんも変わった。40年前はアメリカ人が3分の1、英語圏の人が3分の1、その他ヨーロッパと東南アジアの人が3分の1。それがいまでは70%がその他ヨーロッパと東南アジアからの人たち。わしは中国からの旅行客をガイドすることはない。英語のガイドだからね」
91歳でこの明晰さと仕事に対する意識の高さ、なにより意気軒高な姿に感心してしまう。
岡田さんお得意のジョーク交じりのトークは、いつ聞いても声を出して笑わされてしまうのだが、今回オンラインセミナーで語られた彼の人生の物語には、ふとしんみりして涙腺をくすぐられるシーンがいくつもあった。ウォーキングツアーの別れ際に感激のあまり、泣き出してしまう外国人観光客がいるというのもわかる気がする。
さすがは昭和ひとケタ生まれの岡田さん、時代を無頼に、コミカルに、チャーミングに駆け抜けてきたユニークな人生に思いがけず立ち合ったことで、感情が昂り、取り乱されてしまう人が出てくるのに違いない。
まさに笑わせ、泣かせることがエンターテナーとしての英語通訳案内士のジョー岡田の真骨頂である。
コロナ禍で多くの人々の人生に狂いが生じてきたいま、こんなに勇気づけられる話はないのではないかと思う。そういえば、1月にお会いしたとき、「次なる目標ができた。ガイドは2025年の大阪万博までじゃ」と話していたのを思い出した。今年、東京五輪が延期になる前のことだ。
ジョー岡田さんのオンラインセミナーは12月27日まで開催される予定
連載:国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル
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