ユダヤ教徒が作って黒人が歌った 定番クリスマスソングの知られざるルーツ

キリスト教の祭典クリスマスと同時期には、ユダヤ教の祭典ハヌカも祝われる。(Photo by Unsplash)


こうした状況はポップ・ミュージックも同様だった。ジョージ・ガーシュウィンやリチャード・ロジャース、ジェローム・カーンといった現在スタンダード・ナンバーと呼ばれる楽曲を20世紀前半に作曲したヒットメイカーの大多数がユダヤ人である。職業作曲家である彼らはオーダーに応じてどんな曲でも作ってみせた。たとえそれが自分の信仰していない宗教行事にちなんだ曲であっても。

クリスマス・ソング不朽の定番『ホワイト・クリスマス』の作者、アーヴィング・バーリンが祝っていたのはハヌカだった。バーリンだけではない。『ウィンター・ワンダーランド』の作者フェリックス・バーナードや、『レット・イット・スノウ』の作者ジュール・スタイン&サミー・カーン、『クリスマス・ソング』を作って歌ったメル・トーメ、『外は寒いよ』の作者フランク・ロッサーもそうだ。


アーヴィング・バーリンは帝政ロシアのモギリョフ(現ベラルーシ地域)出身、5歳でアメリカに移住した。『White Christmas』で1942年のアカデミー歌曲賞を受賞。

共鳴し、融合した音楽


彼らのヒット曲の多くは、当時流行しつつあったジャズやラグタイムといった黒人音楽にインスパイアされ、「それ風」のサウンドを狙って作られたものだった。

ここでポップミュージックにある種の化学変化が起きた。彼らは黒人風の音楽を作ろうと感情移入しているうちに、差別され虐げられ続けてきた自らの祖先が継承してきた民謡の哀感を、音楽に持ち込んでいたのだ。彼らのナンバーは、黒人ジャズ・ミュージシャンに頻繁に取り上げられ、ユダヤ的哀感はジャズに欠かせない要素になっていく。 

この時代、最も人気を誇ったシンガーにアル・ジョルスンという人物がいる。リトアニア生まれのユダヤ人である彼は、白人が顔を黒く塗って黒人のマネをするミンストレル・ショーの系譜を引くシンガーだった。つまり「黒人のように歌える」ことが売りだったのだが、実際の彼の唱法はユダヤ教会の歌手だった父の影響下にあるものだった。

現在では顔を黒塗りで歌っていたことが災いして、歴史に埋もれてしまったジョルスンだが、当時は黒人の間でも人気が高く、レイ・チャールズと並んで現在のR&B唱法の始祖とされるジャッキー・ウィルソンはトリビュート・アルバムまでリリースするほど、幼少時からジョルスンを崇拝していた。


アル・ジョルスンが彼の大ヒットナンバー『SWANEE』を歌唱している様子。当時は彼の伝記的ミュージカル映画が製作されるほどの人気だった。

ユダヤ教会からの影響といえば、ジャズの巨人ルイ・アームストロングも忘れてはいけない。ニューオーリンズで孤児同然に育った彼をはじめて人間扱いしてくれたのはユダヤ系のカーノフスキー家であり、ルイは一時期彼らと寝食を共にしていた。ルイが創始したスキャット唱法は、一家に連れられて通っていたユダヤ教会の祈祷にインスパイアされたものなのだ。
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文=長谷川町蔵

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