ベルリンの壁崩壊から31年。現地ライターが写し出す、ロックダウン下の「日常」

ベルリンの壁崩壊から31年。コロナ禍にフィルムカメラを手に、跡地を歩いた

2020年、世界中を覆ったパンデミック。新型コロナウイルスという「見えない壁」が私たちの前に立ちはだかり、行動を制限せざるを得なくなってしまった。

ホリデーシーズンを迎える前に、ヨーロッパでは再びロックダウンを行う国も多く、なかなか日常は取り戻されていない現実にもどかしさを感じる。

一方、パンデミック以前から、世界はいくつもの「分断」の壁で隔たれてきた歴史がある。その最たる例は、冷戦下の西ドイツと東ドイツを隔てたベルリンの壁だろう。

現在、部分的なロックダウン下にあるドイツ。ベルリン在住のフリーライター冨手公嘉が、フィルムを手にして、その「壁」の跡を辿った。観光客のいない特殊な環境で目にした風景に、何を感じたのだろうか──。現地からコラムをお届けする。

#分断に思う

11月9日でベルリンの壁が崩壊してから丸31年の月日が流れた。大学卒業後、8年間に及んだ東京での生活を手放し、日本からできるだけ距離を離れた街を探索することで新しい感覚を得たかった私は、今からちょうど1年前ベルリンへとお試しで移住することを決意して、ビザを取得した。

住む場所は出発予定から2週間前に決まった。当初はインターネット経由で知り合った人を通じて、「ウェディング」と呼ばれるエリアに短期滞在させてもらう手はずだった。滞在中に住所を正式に登録ができる住処を探す予定であった。

しかし私の無計画さを心配した友人が知人を紹介してくれて、長く滞在できる「ミッテ」エリアに住ませてもらうことになった。私が住むことになったミッテエリアは東西統一前、旧東ドイツ側の中心エリアであった。私が住んでいるのはWG(ウェーゲー)と呼ばれる日本で言うところのシェアハウススタイルであるものの、このエリア(旧東ドイツの中心地)の相場にしては破格と呼べるもので、即決した。


駅前の景色。横断歩道を渡るとすぐに開けた広場にたどり着く

最寄り駅は地下鉄8号線「ベルナウアー・シュトラーセ駅」。1927年に開業された路線ではある。しかし1961年8月13日から1989年11月9日にかけて西ベルリンは東ドイツ領土内にある孤島のように、 街全体がベルリンの壁で完全に囲まれていた。

壁が崩壊されるまでの間、この駅は国境地帯にある幽霊駅となっていた。壁、といっても一枚岩があったわけではなく、東と西ベルリンの間には20メートル近くの空洞地帯がある。

現在は、そこを起点に歴史を示す過去の写真パネルやモニュメント、礼拝堂といった展示物が1.4kmにわたり展開される無料の広場になっているのだ。近くには「追悼記念館」もあり、そちらは現在ロックダウンにつき閉鎖されているが、通常は入場無料だ。歴史を正確に、わかりやすく伝えるための意思をそこかしこに感じることができる。


壁と壁の間にある無人地帯の境界を子供に覗かせようとする家族

直感的に訪れた街、巡り合わせで済むことが決まったエリアに何の縁かあったのかはわからない。ただ「分断」に喘いだ負の遺産を、そのまま街の中央に残しているのだ。歴史的に意味を持つ広場が徒歩5分圏内にある私は、そこに何かしらの意味を見出したくなってしまい、フイルムカメラを持ち歩き、現在の様子を記録することにした。
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文、写真=冨手公嘉 編集=督あかり

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