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2015.05.08 08:30

日本たばこ産業(JT)大型買収の成否を決めた「極秘チームの100日」




大型の海外M&Aを2度行い、買収後の安定化も完遂、「衰退産業の元国営企業」という印象を完全に覆したグローバル企業のJT。
成功の秘訣は、1968年策定の民営化と海外進出を含めた長期経営計画と、すべてを他人任せにせず、また年齢問わずに議論を重ねる「組織文化」だった。


ある新聞がソニーと日本たばこ産業(JT)の比較をしたのは、1999年3月のことだ。同月9日、JTは米たばこ・食品大手「RJRナビスコ」の海外たばこ事業(RJRI)を約9,400億円で買収。日本産業史に残る巨大買収劇として大きなニュースになったが、株価は前日終値比5万円安。「漂う暗雲」という見出しが躍った。
同じ日、ソニーは子会社3社の株式交換による完全子会社化を発表。株価が急騰し、「時価総額の増大につながる明確な青写真が描ける企業が、業界再編で主導権を握る」と称賛された。そしてJTのM&Aは高値掴みで、その手法も時代遅れだと指摘され、真っ暗なこんな言葉が並んだのだ。「海外経験未熟」「専売公社体質」「斜陽産業」
ところが、それから16年。JTはいまや毎年2桁成長を続ける高収益のグローバル企業になり、一方のソニーについてはもはや説明不要だろう。明暗は逆転した。
なぜJTは市場の予想をいい意味で裏切ることができたのか。その秘訣を探っていくと、たどり着いたのは危機の予測で培った「組織文化」だった。
当時、大型買収の新聞記事を眺めながら他人事のように、「へえ、うちの会社はこんなことをやるんだ」と、入社3年目だった筒井岳彦は思った。小田原工場に配属され、たばこの製造ラインを管理していた筒井にとって、M&Aなど遠い世界の話でしかない。その筒井に異動の内示が出たのは、2003年。28歳のときだ。 「今度は何をするんですか?」。上司に聞くと、「俺も知らないんだ。企画担当の副社長に聞いてくれよ」と、意味深な言葉が返ってきた。
彼の異動先は本社26階の名前のない一室。常に施錠された部屋で、こう告げられた。「会社の未来は、君たちの軽率な言動で吹き飛ぶかもしれない」 
保秘徹底の案件。それは、「プロジェクト・プライム」という符丁が与えられた。東京、ジュネーブで集められた9人に課せられたのは、99年に次ぐ、第二の大型買収だったのだ。
結論から言うと、彼らは買収のターゲットを英ギャラハーに定め、統合に成功。「統合計画を策定する中でプロジェクトチームが積み上げてきたシナジー効果を、上回る実績となった」と、筒井は言う。
99年に続き、このときのM&Aも投資銀行が関与したのは、買収の手続きのみ。ターゲットの選定から企業統合のシミュレーション、不安に陥りがちな「買われた会社」の社員たちのモチベーションを上げる作業まで、独自に行った。「たばこ屋のことがわかるのは、たばこ屋」という現場感覚に立ち、仮説を立てていった。「統計データだけを分析しても限界があります」と、筒井は言う。チームはヨーロッパのたばこ店を観察するため、現場に散った。買収計画が漏れると、株価が変動するため、大規模な市場調査はできない。なぜ、あるブランドの売れ行きが落ちて、別のブランドが伸びるのか。その差は何か。彼らは足を運び、顧客動向を自分たちの目で調べた。
また、チームに課せられた役割は広い。「各国市場はどう変わるのか、製造拠点の数は、雇用のインパクトはと、一つひとつ事業施策をつくり、積み上げていく。思いつく限りのシナジーを計算して、違ったら全体にどんな影響があるか、感度を調べながら骨組みをつくっていきました」。
目的に近づくまで、どれだけ自分たちの知恵が通用するか。チャレンジするたびに青写真の精度は上がったという。チーム内に「そこまでやる必要があるのか」と不協和音が出ても、合意形成を可能にしたのは、99年に買収を行った先輩たちが指針をつくっていたからだ。
玉虫色の組織にしないために「シングルカンパニー」を掲げ、出身企業を問わず全従業員に対して公正な処遇を徹底する。さらに現場感覚を重要視した。
専務執行役員の岩井睦雄がこんな逸話を明かす。「旧RJRIの工場に東京からJTの社長が出かけていって、従業員のドイツ人たちに話しかけると、感激したというんです。なぜそんなに喜ぶのかと聞くと、JTの前に買収した米ファンドKKRから派遣された米国本体の社長は、現場に来ることなど一度もなかったと言ったそうです」
また、不安を払拭して組織内の混乱を最小限に収めるには、スピードが求められる。時間がかかれば、競合企業に市場を奪われる。そこで100日間で統合計画を完成させるという目標を立てた。

経験を礎に宿命を跳ね返す

それらを可能にした背景には、JTが背負った「宿命」がある。原点は、専売公社時代の68(昭和43)年に遡る。「43長計」と呼ばれる長期経営計画だ。海外勢が専売公社の独占市場を開放するよう圧力をかけており、多角化と海外進出は必須だった。その後、76年にフランスとイタリアがたばこの専売制を廃止すると、米英のたばこ企業に一気にシェアを奪われる惨状を目の当たりにした。さらに国内需要を予測すると、98年に減少に転じることがわかった。滅亡に対する危機感。克服策は一つ。自らが変わるしかない。「ふつうの会社になるにはどうしたらいいか」。彼らが行ったのは、先輩後輩、上司部下の垣根を超えて、あるときは会社で酒を飲みながら徹底的に議論することだった。夕方になると幹部の部屋に若手社員も集まり、後輩が意見を言うと、「じゃあ、作文にしてこい」と言われ、「中途半端だ」と突き返される。こうした関係を、「書生っぽい議論ができる会社」と、岩井は言う。「なぜ企業は利益を上げなければならないのか、といった“そもそも論”の議論を厭わない。僕も役員室に手書きの作文を持ち込み、『公社が単純に株式会社になっただけではダメです』と、あるべき論を提案したら、もう一回出直してこいと突き返されました。後輩に組織をバトンタッチするためにも、先輩後輩の双方が互いを鍛え合うという意識が強いのです」
M&Aの素人だった筒井は先輩たちに教わりながらギャラハー統合を成功に導き、グローバル化を担う執行役員に30代にして就任した。「仕事の報酬は仕事で払う」という、年齢・国籍・性別を問わず、より大きな責任をもたせる制度による昇進だった。
筒井は言う。「私も2003年にプロジェクトに参加した時はM&Aの素人でした。これは勉強して身に付くものではない。ギャラハー買収・統合という大きな経験を通じて初めて学びを得たのです。M&Aはいわば“生き物”で、過去の経験を礎に状況に立ち向かっていくしかない。ギャラハーの時はRJRI買収の先輩たちの学びを大いに活かしました。今後は私の学びを、未経験の人たちに受け渡していきたい」
今年2月、JTは「桃の天然水」など飲料事業から撤退を発表した。将来の成長戦略を描けないまま先送りするのは「不作為の罪だ」と経営陣は判断。問題提起から3カ月後のスピード決断だった。目先の利益のためだけの合理化はしない。これもまた、組織文化で得てきた薫陶であった。

フォーブス ジャパン編集部 = 文 ヤン・ブース = 写真

この記事は 「Forbes JAPAN No.11 2015年6月号(2015/04/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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