角記者は「西山さんの再審の訴えに耳を傾けてもいいんじゃないか、との記事を書くことになります。その趣旨にご理解いただきたいと思っています」と伝えた。
その気持ちは伝わったようだが、角記者は、女性の口ぶりからすでに13年も前の事件にどう対応してよいのか戸惑っているようにも感じられた。女性は、代理人の弁護士の名前を出し、必要があればそちらに連絡してほしい旨を伝え、電話を切った。
取材に一切応じない、という対応も無理からぬことだった。自分の父親が病院で殺害された、という衝撃的な出来事に翻弄され、10年以上たって、今度はその犯人とされた人が実は冤罪だった、事件ですらなかった、と言われても答えようがないだろう。
事件でもない患者の死亡を警察が事件化したことで平穏な日常を奪われ、塗炭の苦しみを味わうはめになり、その後の人生を翻弄され、狂わされたのは西山さんと家族だけでなく、遺族も同じだった。
滋賀県警に申し入れ 刑事との接触を試みた
滋賀県警キャップの井本拓志記者 (31) は事件当時に西山さんの取調官だったA刑事との接触を試みた。
直当たりという手もあるが、私と打ち合わせた上で、正面から取材を申し入れることにした。長期的な報道を覚悟していたので、腰を据えて進めた方が良い、との判断だった。直当たりは不発に終わればそれっきりになってしまう。やろうと思えばいつでもできる手法だった。
掲載が数日後に迫った段階で、井本記者はA刑事がその時点で所属していた県警機動捜査隊に出向き、上司に報道の趣旨を説明。その上で「当時の取調官だったAさんと直接話をさせてもらいたい」と申し入れた。上司は「こちらで勝手な判断はできかねるので、広報官、捜査一課と話をしてから考えさせてもらいたい」と話し、結局、広報官が対応することになった。
前県警キャップの角記者と井本キャップの2人が広報官のところに行った。2人が広報官に伝えたのは、以下の要点だった。
・湖東記念病院事件について、独自取材で判明した新事実などから、再審への道は開かれてしかるべきだという方向で近く報道する。
・新事実は西山受刑者の特殊な事情で、当時の捜査本部が把握していなかったと思われるが、その詳細はAさん(担当刑事)が取材に応じるなら直接伝えたい。
・Aさんが当時、別の事件で男性を誤認逮捕し、懲戒処分を受けた件についても触れる可能性があり、その件も直接話を聞きたい。
これに対し、広報官は「記事が出れば苦情電話も予想される。対応を準備するためゲラ(試し刷り)を見せてほしい」と要求してきた。もちろん、見せることはできない。断ると、それ以上しつこく言ってくることはなかった。
広報官は「取り急ぎ組織で対応を検討するので待ってほしい」と答えた。
待つこと30分ほど。広報官から井本記者に連絡があり、再び出向くとこう話した。