2020年、皮肉にも新型コロナウイルス感染拡大によって、分散出社やリモートワークへの移行が進み、「どこでも働ける時代」がぐっと近付いてきた。
自然の少ない都市での暮らしに、どこか息苦しさも感じ始めている。豊かに生きるためには、今ここじゃない拠点に移る方がいいのではないだろうか。そんなことも考えるようになった。
ふと、広島県が移住促進やオフィス誘致に力を入れているという話が耳に入った。
広島県というと、瀬戸内海、平和都市、広島東洋カープ、広島風お好み焼き、宮島や厳島神社といったキーワードが浮かぶ。県庁所在地の広島市や、しまなみ海道サイクリングで有名であり、移住者が急増している尾道市などは名前をよく聞く。
どうやら、有名な都市以外にもそれぞれの市町村が移住やオフィス移転を歓迎しており、異なる魅力があるようだ。せっかくなので、足を運んだことのない市を訪ね、少しでもその市への理解を深めてみよう。そう思い、庄原市(しょうばらし)と三原市を訪ねてみた。
懐かしく新鮮、開発されなかった里山風景
庄原市は広島の北東部に位置する市。中国地方のほぼ中央に位置し、東は岡山県、北は島根県と鳥取県に隣接する“県境のまち”だ。
アクセスは、福山駅から車で1時間半ほど。高速道路を走る途中、何度もトンネルを通るため、いくつもの山を超えて向かっていることがわかる。庄原市に到着し一般道に降りると、一面山や田んぼ。コンビニや飲食店など、景色を遮る建物はほぼ見当たらなかった。
広島県といえば瀬戸内海、瀬戸内海というと雨が少なく温暖な気候をイメージする。庄原市はそのイメージとは真逆な気候だ。冬には多くの雪が降り積もる。
「実はスキー場もたくさんあります。広島県はレモンが名産として有名ですが、庄原ではりんごが栽培されている、というと、気候が伝わりやすいでしょうか」
そう教えてくれたのは、庄原商工会議所専務理事の本平正宏さん。庄原の活性化にまつわるプロジェクトを多数手掛けている。
本平さんは広島市出身。縁もゆかりも無かった庄原市に出会ったきっかけは、前職の銀行員時代だった。2015年に転勤で庄原市にやって来たとき、目の前に広がった風景に惹かれたという。
「一般的には、田舎と呼ばれる場所も、お店や工場や団地など何かしらの建物は建っているでしょう。でも、庄原の風景は違っていたんです。結果的に開発されていなくて、家と田んぼと畑と山がそれぞれ場所を奪い合わずに、里山風景が残っていた。その風景が、どことなく懐かしくて、でも新鮮でね。開発されていないイコール遅れ、と捉えられるかもしれないけど、ここには“一周遅れのトップランナー”になれる魅力があると思ったんです」(本平さん)
景観そのものが観光資源になる。そう思った本平さんは、居ても立ってもいられず銀行を早期退職。庄原に残って地方創生に携わる道を歩もうと決めた。
取り組んだのは、古民家活用。古民家残存率が全国2位という、庄原の特性を活かしたものだ。瀬戸内全体の観光マーケティング・プロダクト開発を推進する組織、せとうちDMOとともに古民家改装に着手。2019年9月から、築100〜250年の3棟の古民家を一棟貸しの宿にしている。
「棚田の頂上にあって見晴らしのいい宿や、リビングは全面ガラス張りにして周囲の森と一体化させた、“古民家グランピング体験”が可能な宿があります。庄原には、そこら中に茅葺の屋根が残っているんですが、この景観や環境は地元の方々が必死になって守ってきたもの。それをなんとか生かしたいなと」(本平さん)
新型コロナウイルスの影響で観光誘致が難しい現状があるが、夏はサイクリング、冬はスノーハイクなどの体験プログラムも宿泊と合わせて楽しんでもらえるように企画中だそう。多様なアクティビティを体験できる点は、住む場所としても魅力に感じる。
MaaSにスマート農業、新たな取り組みも進む庄原市
古民家や観光施策だけではない。他分野でも庄原は新しい挑戦を仕掛けている。
たとえばMaaS。庄原中心部から観光地へのアクセスの悪さが課題だったため、観光地へと繋ぐ移動手段を導入した。
減便する公共交通期間の代わりとなり地域の人の足となる、地域生活交通MaaSプロジェクトも現在進行中と、訪れる人や暮らす人のための施策にも注力している。
搾乳を全自動で行い、酪農家の負担を減らす搾乳ロボットシステムの実装実験も行うなど、スマート農業にも積極的だ。
「どの取り組みも始まったばかり。まだまだこれからです。何もせずに10年20年経ったら、庄原の景色も荒れてしまうかもしれない。だから、今が最後のチャンスのようにも思っていて。数年後には世界中から人が訪れる里山のまちにしたいという夢があるので、まずは庄原の名前を知ってもらうためにいろいろと試みています」(本平さん)
地域が残してきた資産を守りつつ活用しながら、変化しようとしているまち。話を伺って、そんな印象を庄原市に抱いた。
とはいえ、気になるのは「暮らしやすさ」。庄原での暮らしはどのような感じなのだろう。
「昔のように、モーレツに働くことが正しいと思える時代じゃないでしょう。自分の生活空間や時間を大事にしたいと思える人が増えている。田舎なら、土地や物件が安いから、自分好みにリノベーションしやすいですよ。私も、庭付きで約300坪の一戸建てを車1台分くらいの値段で購入してリノベーションしました。空き家も多いので、中には『100万円も付けるから買ってほしい』なんて方もいるほど。仕事して、昼休憩のときに隣の畑で収穫した野菜を食べるなんて贅沢なこともできますよ」(本平さん)
そう話す本平さんの顔はほころんでいて、暮らしへの満足度が伝わってきた。
人が自然に敬意を払い、景観を守ってきた庄原。変わらない景色を資産にして輝かせながら、まちとしてどう変化や進化をしていくのか。その動きを近くで見守るのは面白いかもしれない。
廃校はリノベーションされ、地域の交流拠点になった三原市
別日、広島空港を出発して三原市のとある場所に向かうことに。三原市は、地図で見ると広島市と福山市の間に位置する。空港も新幹線こだまが発着する三原駅もあるし、高速道路や港もある。まさに、広島県内屈指の玄関口のような市だ。
移住促進制度も充実しており、中でも目に留まったのは「三原市ファーストマイホーム応援事業補助」の制度。
夫婦がともに40歳未満の世帯、もしくは15歳未満の子どもがいる世帯を対象にした住宅取得に対する補助で、要件を満たせば最大100万円の補助が受けられるそう。若い世代の移住定住を積極的に進めたい市の思いが感じられる。
広島空港から「広島中央フライトロード」と呼ばれる道を走ること15分、早くも目的地に着いた。広いグラウンドと赤い屋根の校舎が印象的な施設は、旧和木小学校。2013年の閉校後、地域の活動拠点・交流拠点として再活用されている。
1階は、主に地域住民の交流スペースとして機能。お年寄りが集い、食事をしたり体操をしたりする月2回の「お茶の間サロン」や読書会などで賑わう。教室がそのままの姿で残り活用されていて、図書室などもあった。
一方、2階の交流スペースは2017年に広島県の「廃校リノベーション事業」に応募し、建築家・隈研吾氏監修のもとリノベーション。1ヶ月間お試しのサテライトオフィスや貸事務所になっている空き教室3室もある。貸事務所の賃料は共益費を合わせても月4万円で、現在入居企業を募集中だそうだ。
「過去には、ドローンを使ったビジネスをされている企業や、農村体験ツアーなどを企画されている企業が入居を検討してくれました。地域資源を活用して事業をされる企業様にはベストな拠点かなと。サテライトオフィスは、リモートワークができる業種の方に幅広く活用していただけますよ」
説明してくれたのは、この施設を管理している和木地域活性化実行委員会の加賀美和正さん。閉校記念誌の編集に携わる中で、地域の方の「思い出の場所を失くすのは寂しい」と、いう思いに触れ、廃校活用の企画を考えて動き出した発起人でもある。
地域を見守る、優しく面倒見のいいナビゲーター
とにかくエネルギッシュな人だ。毎日ここに通っては、利用者の方と笑顔で言葉を交わしたり、イベントの様子を撮影したり、レポートを書いて地域の人に配ったりと大忙し。伺った日も、ひっきりなしに鳴る電話に元気な声で応答する姿が印象的だった。
「とにかく、人が集まる交流拠点にしたいんですよね。『行くところがない』、『話せる人がいない』と閉じこもってしまう人がいることも地域の課題。ここで交流してもらうことで、孤独な人を減らしたい。いずれは食堂や居酒屋もこの中に作って、みんながふらっと食事したり、夜は一杯飲みに来たりできるようにしたいなあって構想しているんですよ」(加賀美さん)
渡してくれた冊子には、自身が持つ拠点の理想像と、地域の人から寄せられた「こんなスペースにしてほしい」という要望をまとめて物語風の文章にしたためたものが載っていた。
まだ実現していないことを叶えていくのが、これからの楽しみであるという。
「今、安心して暮らせてるんです。空気もおいしいし、人との繋がりがある。地域のみなさんがここの草刈や掃除を手伝ってくれるし、どこを歩いていても『ご苦労さんです』って声を掛けてくれる。それが心地いいんだよね」(加賀美さん)
加賀美さんに、正直な気持ちをぶつけてみた。「すでにコミュニティが出来上がっているからこそ、仮に私のようなよそ者が入ると馴染むのに苦労しないですか?」と。
「移住してくる人も多いんですよ」と教えてくれた上で、加賀美さんはこう話してくれた。
「確かに、ずっとここで生まれ育ってきた人は、その人たちだけの思い出やコミュニティを持っているかもしれない。でも、一度地元を出たり外から来たりしたからこそ持っている外の繋がりや、見い出せる地域の良さもある。互いの良さを尊重し合いながら共生できますよ。私だって、長らく故郷を離れていたし、地域デビューしたのは64才だったけれど、馴染めましたから」(加賀美さん)
とはいえ、最初はどうしていいかわからず戸惑うかもしれないなあ。そう思っていた様子を察してか、加賀美さんは続けた。
「細かいことだと、住む地域ごとにゴミ捨てのルールが違ったりもする。参加しないといけない地域行事や当番制の活動もある。それらは知っているに越したことはないから、移住前に私からお伝えしますよ。来てから戸惑われてしまわないように、しっかりサポートしますからね」(加賀美さん)
困ったことがあっても、加賀美さんや彼の信頼する仲間に相談したら、きっと最善の策を教えてくれるし、場合によってはぴったりの人や場所に繋いでくれるだろう。帰り道にそう安心できた。地域を照らすナビゲーターがいて、駆け込める拠点がある地域は心強いと思えた。
今回訪ねた庄原市と三原市は、最長1ヶ月お試し勤務や生活周辺環境の視察ができる、法人向けのプロジェクト「チャレンジ里山ワーク」にも参画している。
サテライトオフィスの開設にあたってのオフィス改装費や備品購入費に加え、開設後の賃借料や通信回線使用料にも補助があり、支援に力を入れている。拠点の地方移転やサテライトオフィス開設を検討している企業も、ぜひ選択肢に含めてみてほしい。
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