「いい加減、諦めろよ」と言われても。挫折の連続も、折れない僕に2度の好機が訪れた

写真提供:ジュビロ磐田


ジュビロ磐田 英語通訳 野田智裕氏
オーストラリアのセミプロチームでプレイ中の野田氏

少しでも確率が上がる海外で挑戦、ただ、プロにはなれず


試合に出られなかった自分が、日本でプロサッカー選手になれるわけがない。それならと、海外で挑戦することにしたんです。

「どうせなら、日本人の多い欧米ではなく、南米で勝負してみよう」と向かったのはアルゼンチン。迎えた最初の試合。思うように動けず、まったく活躍できませんでした。

次の挑戦を求める中で、アメリカでトライアウトが開かれることを知ります。ちょうど、日本へ一時帰国するための飛行機がアメリカ経由。「これは参加するしかない」と向かったものの、結果は最終テストで不合格。ここでもプロにはなれませんでした。

アルゼンチン、アメリカ、オーストラリア、シンガポールなど多くの国を渡り歩きながら、経歴書を送ったり、練習場に直接行って監督に直談判したり、様々な手段を使って自分を売り込みました。

そして、やっと掴んだマルタでのプロテストのチャンス。手応えもあり、「明日のテストでいいプレーができれば合格」というところまで来ていたんです。

しかし、テスト前日の練習中にまさかのケガ。

最悪のタイミングであり、当時の鈍い音が今でも忘れられないほど、ショッキングな経験でした。もちろん翌日のプロテストは受けられず、当日やって来た別の選手がチームと契約することになりました。

掴みかけていたチャンスを落としてしまったのは、タイムリミットの2年を迎える頃でした。

「今しかできない」を軸に、即決・即行動ができたからこそ掴み取った夢


プロサッカー選手になれないまま迎えたタイムリミット。夢は諦めて帰国し、地元で営業マンとして働き始めました。

「プロサッカー選手として必要とされない」経験をし続けてきたからこそ、お客様から信頼していただけることはうれしく、やりがいを持って働いていたんです。

それでも、サッカー熱は冷めません。社会人チームに所属してサッカーを続けながら、SNSで海外のサッカー関係者の方をフォローして情報を追っていました。

そんなある日、ふと見つけた「東南アジアのチームで日本人選手を探しています」という投稿。迷いもせず、「興味があります」とコメントしました。

夢は諦めたつもりでしたが、チャンスを目の前で逃した悔しさがまだ残っていたんです。それに、「夢を叶えることと営業の仕事、今しかできないことはどっちだ?」と問うと答えは明確で。

プロ契約の条件の1つは、「来月からフィリピンに来られること」。即決できたこともあって合格を出していただき、フィリピンでプロサッカー選手になることが決まりました。

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文=倉本祐美加

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