“新しいつながり”を重視するこちらでは有機的なネットワークが自然発生し、メンバー同士で新たな企画やイベントを開催するケースも多い。それがビジネス創生の場にもなりつつある。
今回は7月にオープンしたばかりのLAC八ヶ岳北杜でプロデューサーを務める、“渡鳥ジョニー”こと池田秀紀さんが登場。地方移住やバンライフを送りながら“自分らしい暮らし”を見つめてきたジョニーさんが目指す、未来の八ヶ岳時間に迫る。
明るい未来を求めて、ノマドに暮らせるバンを買う
今春にLAC八ヶ岳北杜のプロデューサーとなったジョニーさんは、それまでメルセデス・ベンツのバンで移動型の生活を送るなど、文字通りのノマドライフを送ってきた。
定住型のライフスタイルはリスクが高い。そう感じた背景には、ロストジェネレーション世代として、慶應義塾大学へ進学するも常々「未来は闇ばかりだな」と思っていたことにある。
バブル崩壊は小学生のとき。そして就職活動戦線は氷河期。就活はするものの、満員電車での通勤や、会社員になったらきっと住むのだろう没個性的な住まいでの暮らしに疑問を抱いた。結果、戦線から早々に離脱。
ジョニーさんがLAC八ヶ岳北杜のプロデューサーに就いてからも活躍中の愛車と。8月にはバンライファーたちとの実験イベント「バンライフフェス」を催した。
仕事は、大学在学中に独学でウェブデザインを学んでいたことからフリーランスのウェブデザイナーに。しかし居住コストの高さなどから、いつか都心暮らしから距離を置こうと考えていた。それを実行に移すことになったきっかけは東日本大震災だ。
熊本時代。自然栽培による旬の野菜とウェブ制作仕事を交換するなど「物々交換」ならぬ「物技交換」など新しい暮らし方を実践してきた。(c)ikedahidenori
発生3カ月後の6月には都市一極集中ではない暮らしを求めて熊本へ移住。古民家を改築したり、お金を介さない“物技交換”をしながら、のちに札幌にも移り住むなど地方での暮らしを約7年間楽しんだ。
九州・熊本から北国・札幌へ。冬は雪深いこともあり、燃料費が3分の1程度になる高性能なエコハウスをリノベして住んでいた。(c)ikedahidenori
私用のため東京に戻ったのは2年程前。暮らしに対する疑問は相変わらず抱いたが、「シェアリングサービスが充実し、テザリングを使えばどこでも仕事ができたりテクノロジーが進化していました」と、東京を出る前と社会環境が大きく変わっていたことを実感した。
「そこで都市型バンライフを始めたんです。まずは1987年製のメルセデスのバン『307D』を購入。ベッドやキッチンなど内装はDIYして、ビル内のすべてがシェアできる『永田町グリッド』のパーキングにバンを停めて、ワークスペースを使いながら仕事をしていました。ウェブデザインはネット環境とPCがあればできますから」。
四季折々、日本の良い景色のところを2人で巡ってきたジョニーさん夫妻。