石神井公園団地マンション建替組合理事長の黒河内剛さん(66)も、毎年欠かさず家族で花見をした思い出がある。「石神井川沿いの桜並木を妻と子どもと5人で歩いた時の記念写真が1番綺麗で、いまでも飾っています。川にかかる桜の枝を剪定しなかったので、本当にトンネルになっていたんです」
1980年頃石神井公園でのお花見
2012年さくらの辻公園でのお花見の様子。先輩たちが植えた桜の木が成長している。
団地というコミュニティ
石神井公園団地は、給水管や配水管の劣化が激しかった。またエレベーターのない4階、5階に住む高齢者は日常生活でも苦労することが多かったため、1〜9号棟全て一括で建替工事が進められることとなった。今年8月31日の完全明け渡し日までに住んでいた世帯の70〜80%は、高齢者であった。
建替後の住宅は、団地の良さを残しながらも8階建てとなる予定だ。新住宅には「若者やファミリー層なども積極的に入居してほしい」と、住民たちは語る。
家の窓からは見渡す限りの団地群。昭和30〜50年代にかけて次々と団地が完成すると、一斉に新婚家庭が入居し子どもがうまれ、小中学校が満員になっていく現象が目立った。
団地の誕生によりLDKの概念が浸透し、食寝分離の生活スタイルが確立される。そんな新しい様式を定着させた中流家庭の人々は「団地族」と呼ばれ、日本の消費をリードした。
「サラリーマンと専業主婦」に代表される団地族は、1億総中流社会と呼ばれる70年代に向けて、足並みを揃えて新しい日本の穏やかな理想を追求し、時代を築き上げていった。
そうしてみなが一丸となってより良い暮らしを求め、経済を押し上げた時代には、団地という隣近所を確認し合える住まいの形は最適だったのかもしれない。
近年ではコミュニティスペースがあるマンションや、共用スペースを中心として部屋が配置された住居も増加している。「個の時代」といわれ、新たな生活様式が生まれようと、「団地的コミュニティ」ひいてはかつて長屋で連帯していた頃のようなつながりを、私たちはどこかで捨てきれないのかもしれない。
石神井公園団地は大型マンションとして生まれ変わり、3年後、2023年から入居が開始する。一時代の終焉か、はたまた団地のコミュニティは姿を変え、受け継がれていくのだろうか。
2001年頃の給水塔 自然豊かな環境だった。
給水塔の解体から始まり、徐々に団地は取り壊されていく。