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2020.11.15 17:00

団地コミュニティは終焉を迎えたのか? 石神井公園団地、53年目の幕引きに思う

「団地お別れイベント」では元住民たちに見守られながら、シンボルだった給水塔の解体が始まった。


昭和の暮らし
流し台がステンレスになっているのも最新。
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団地が建設された当時、1968年の内風呂普及率は42.2%。東京オリンピックの開催に合わせて開発されたユニットバスは、内風呂が普及しつつあった当時の家庭に向けて改良が加えられた。また、タイル張りだった台所がステンレス製になるなど新たな居住空間が作られるようになり、団地はそれら最先端の設備を備えた革新的な住宅だった。

ユニットバス
ガスで風呂が沸かせるのも画期的だった。

昭和を象徴する建築物といえば、給水塔だろう。昭和30年代から40年代の高度成長期には多くの給水塔が建てられた。石神井公園団地にも、団地のシンボルとなる給水塔がある。夏には給水塔を中心にして、毎年夏祭りが開催された。
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夏祭りが始まったのは35年前、団地が建設されてから18年目のことだ。子どもたちに団地での楽しい思い出をつくってあげたい、団地の住民が交流できるイベントがあれば、との思いからだった。

毎年夏祭り実行委員会を立ち上げて、出店を準備し、フラメンコサークルなどの各サークルは祭りの日に向けて練習に励んだ。そうして準備を行う時間が、住民同士のつながりを強める機会となったという。

「子どもたちが喜ぶ姿を見ると、準備が大変でもやめられなくて」

給水塔の下で行われる夏祭りは、毎年恒例の団地の名物行事となった。

ご近所付き合い
夏祭りが初めて開催された1985年の組合報 夏祭りへのさまざまな思いが記録されている。

夏祭り
2009年のお祭りの様子。お神輿も手作り。

我々の桜だよ


さくらの辻公園
桜は石神井公園団地の豊かな環境を象徴するシンボルだった。

自然豊かな石神井公園団地では、春には毎年花見が行われた。

団地の東側にはさくらの辻公園がある。この公園は、団地ができた当初、汚水処理場があった場所だ。当時は周辺に下水道設備が完備されていなかったため、独自の汚水処理場が必要だった。

時代が進み、設備が不要になると、その土地を利用して桜を植えた。

「先輩たちが桜を80本くらい植えてくれたんです。『我々の桜だよ』と思っていました。川の水に桜の枝がかかっているのが本当に素晴らしかった」と岡崎さん。団地の周囲に咲き誇る桜の道は、地域の人々も集まる人気の花見スポットとなった。
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文=河村優

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