都内最大級にして最古級の大型団地は、1967年、高度経済成長期真っ只中に竣工したものだ。
解体の始まりに行われた「団地お別れイベント」の冒頭では、石神井公園団地管理組合理事長の岡崎登さん(85)が挨拶した。
「本日をもって石神井公園団地の解体が行われます。団地の中には花が咲き乱れ、小鳥もさえずる、大変環境の良い場所でした。このような素晴らしい団地を作り、維持管理してきた先輩方にお礼を。ここに建て替えに伴う解体が始まることには一抹の寂しさもありますが、新しいマンションの完成に期待して、お別れの挨拶とさせて頂きます」
昭和、平成、令和と3つの時代を経て、またひとつ、時の面影を色濃く残す風景が姿を消す。
団地管理組合長の岡崎登さん(左)と団地マンション建替組合理事長の黒河内剛さんに、石神井団地での思い出を聞いた。
倍率222.5倍の人気物件
64年の東京オリンピックを機に高度経済成長にあった1960年代。都市部近郊には総戸数1万戸以上を誇る高島平団地や、都内の住宅不足解消のために建てられた常盤平団地など、多くの大型団地が誕生した。
団地が建つと周辺に小児科医院が増えるといわれたように、郊外に大型団地が建設されると教育機関や各種施設なども建てられ、ニュータウンが形成された。
1967年(昭和42年)に誕生した石神井公園団地は、一部屋ごとの面積が広く、自然に囲まれた環境ながら都心へのアクセスも便利という好立地から、とりわけ人気が高かった。
以下のチラシには、1967年9月の入居に先駆けて行われた「モデル・ルーム開放」の様子が記されている。
「石神井分譲団地モデル・ルーム公開最終日の6月18日(日)。東京23区内で都心に近く、しかも附近に石神井公園があって環境良好なこの団地は、ごらんのとおりの大人気。モデル・ルームの中はラッシュ時の国電なみの混雑。(中略)募集のフタをあけてみると、490戸に対して6241人(12.7倍)の応募があり、なかでも3LDKの一部はなんと222.5倍という高率」
モデル・ルームの開放にこの人だかり。「東京支所募集課員はお客さんの整理に汗だくだった」の記述も。
「すごい倍率だなんて知らずに申し込んだんですが、偶然にも抽選が当たりまして」
当時32歳の岡崎さんは、2人目の子どもが生まれたタイミングで完成したばかりの石神井公園団地に入居した。「サラリーマンにとっては高かったですね。頭金を親父に借りて払いました」。大卒男子の初任給が約3万円という時代。入居者は450〜460万円の大金を工面して、憧れの団地での生活を始めた。
新しい日本を象徴する住まいであった団地。この扉の先には当時の憧れの暮らしがあった。
もともと戦後の住宅不足を解消するために建てられた団地。より広く敷地を活用するために階段を中心として両サイドに部屋を設ける構造だった。玄関を開けるとすぐにお隣と対面する「階段付き合い」は団地独特だろう。