シリーズ第二弾のゲストは、前京大総長であり、霊長類学者の山極寿一。ゴリラの研究を通じて「人間とは何か」を問いかけ続けつづける山極は、自然科学と人文科学を越境しながら人間の行動の本質を捉えてきた。フィールドワークにおける観察の手法や「問い」の重要性など、「人間中心」を掲げるデザインアプローチとの共通点を探る。
観察を通じた究極の共感
石川:私は、元々インダストリアルデザイナーだったのですが、人文科学からの影響を非常に強く受けているんです。
山極:そうですか。デザインの対談でなぜ私のところに相談をいただいたんだろう、と実は思っていたところでした。(笑)
石川:デザイン思考の基本は文化人類学的なアプローチに基づいた観察なんです。観察を通じて物事に対する違和感を主観的に捉え、それを解決する方法を探していこうという発想。ですからフィールドワークも多用します。霊長類学者として森に入り、ゴリラと一緒に山極先生は、まさにフィールドワークと観察の達人ですよね。
山極:観察、というよりもなり切るという方が近いかもしれない。ゴリラは人間のように言葉を喋らないですから、何を考えているか質問に答えてくれるわけではないでしょう。だからまず、ゴリラの一員になって群れに受け入れてもらうところからのスタートです。
石川:人間でも、言語化できることには限界がありますよね。我々も、フィールドワークを通じてインタビューを行いますが、それと同じくらい身体感覚を大事にしています。
山極:日本の霊長類学の草分的な存在として知られている今西錦司は、弟子に対して「まずはお前がゴリラや猿になってこい。その上で彼らの社会を描け」と言いました。一緒に行動し、前後左右をゴリラに囲まれながら生活感覚を体で会得していく。これが簡単なようで難しいんですが、同じ速度で歩き、同じものを食べることで少しずつ、ゴリラがどんなことに関心を持っているのかが見えてきます。
石川:究極の共感、というか憑依ですね。
山極:一緒に過ごすうちに、共感する対象がどんどん広がっていくんです。時にはフルーツの身になってみることもありますよ。
石川:ゴリラの食べ物に、ということですか?
山極:そう。ゴリラになり切るうちに、ゴリラが関心を持っている対象にも共感できるようになってくる。フルーツから見たゴリラというのを想像してみるんです。