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2020.11.09

デザインを武器に、目指すは世界。東京発「ヴェルディブランド」の作り方

東京ヴェルディ 代表取締役社長 羽生英之

サッカークラブから、多競技のスポーツクラブへ。古豪サッカークラブが、次の50年の持続可能性を見据えた大胆な転身を図った。


半世紀前に創立された日本初のプロサッカークラブ、東京ヴェルディ。Jリーグ初代王者となった名門だ。

しかし、今世紀に入ってホームタウンを川崎市から東京都へ移転したころから、後発クラブの勢いに埋没する。一度は復帰したJ1リーグから再び2009年にJ2へ陥落、以降は成績不振にあえぐ。親会社の変更・撤退による経営難を乗り越え、10年前に市民クラブとして再出発した。

チーム存続の危機に奮闘したのが羽生英之だ。Jリーグ事務局長と兼任する形で社長に就任してクラブ経営に介入し、スポンサーを獲得するまでの役割だったが、その後、周囲の期待に推されてJリーグを退職。東京ヴェルディの社長職に専念する。羽生が就任時を振り返る。「年間のクラブ運営にどうしても10億がかかるのに、6億しか入らないとわかっていた。オーナー企業のいない自分たちは最初の2年、その4億を埋めることを必死に考えた」

立て直しにめどがつくと、中長期の経営計画に向けてヴェルディの経営資源を洗い出した。注目したのが「育成力」だ。各年代のアカデミーを持つヴェルディは、高い技術を備えた選手を若年層から育てるシステムを築いていた。

いい選手の定義とは、との問いに羽生は答える。「技術力だけでなく、メンタルの強さやクリエイティビティなどにも優れた選手」。スポーツは人間教育──。その信念がここ5年ほどで実を結び、ヴェルディのユースは、中島翔哉、安西幸輝、畠中槙之輔、小林祐希、三竿健斗といった日本代表を輩出している。

こうしたクラブ改革の過程で、羽生の脳裏に次の構想が浮かんでいた。19年1月。クラブ創立50周年記念事業発表会の壇上で、羽生はヴェルディの次の50年に向けた2つの目標を掲げる。

1つは、「世界で輝く人材を育成する」というミッション。サッカー選手、スポーツ選手という枠を超え、学術・芸術・ビジネスの分野までを想定する内容だ。その実践は、ビジネススクール「東京ヴェルディカレッジ」の創設で示された。これまでの育成メソッドを言語化し、他競技や他業界の人材育成に活用していく。

羽生は、この試みを「かつての『藩校』のような役割にしたい」と語る。根底には、自分たちが「社会的な存在であろう」とする姿勢、時勢に振り回されずに「自主性を保つ」という決意が見て取れる。

もう1つの目標が、「世界一の総合クラブへ」というビジョン。総合クラブ化のメリットは、サッカーファンだけでなくスポーツファンに共通して愛されるブランドとなり、社会へ浸透しやすい点がある。羽生は、スポーツビジネスのダイバーシティをキーワードに挙げつつ、経営においても「他競技から学べることは多い」と明かす。
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文=神吉弘邦 写真=平岩 享

この記事は 「Forbes JAPAN Forbes JAPAN 10月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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