2020 Finalist Interview

SmartHR 代表取締役 CEO 宮田昇始

#11

約30,000 社に登録されているクラウド
人事労務ソフト「SmartHR」

SmartHRが2015年に発表した「SmartHR」は、雇用契約や入社手続き、年末調整などの労務手続きをペーパーレスで管理できるクラウド人事労務ソフトだ。このようにして、人事労務に関するさまざまな手続きが簡略化され、あらゆる社員の時間を節約できる便利さが人気を集めている。例えば年末調整であれば、被雇用者はパソコンやスマホで簡単なアンケートに答えるだけ。書類に細々とした内容を記入したり、ハンコを押したりといった作業は一切不要だ。さらに、人事労務担当者もweb上ですべてのデータの管理が可能なのだ。

経理と同じく人事労務も、業種を問わずにすべての企業のなかで発生する手続きだ。だが、会計ソフトはどんどん進化していく一方で、なぜか人事労務に関する分野はIT化の波から取り残されていた。そこに彗星の如く現れたのが「SmartHR」だった。15年の発表から現在までに登録社数は30,000社を超えている。また、労務管理クラウドシェアNo.1を誇り(※ミック経済研究所「HRTechクラウド市場の実態と展望 2019年度」)、サービス利用継続率は99.5%を叩き出している。

コロナ禍では多くの企業から「在宅勤務にせざるを得ない状況になり、あわてて導入した」と、さらに注目が高まった。例えば紙の給与明細なら印刷、封入作業、手渡しといった作業が発生するところ、「SmartHR」のWeb給与明細機能を活用すれば、すべてWeb上で完結できる。そういった機能が、出社の機会や対面でのやりとりが減った社会状況にマッチしたのだ。

「荒くれ者」からの
スタート

「SmartHR」がここまで大成功した理由。それは一重に、「ユーザーヒアリング」の賜物だと宮田は話す。いきなりスマッシュヒットを出せたわけではない。07年の大学卒業後から15年の「SmartHR」の発表までには、思うようにいかない会社員時代と、独立後の2回の失敗があった。その約8年間について、宮田は自身を「荒くれ者だった」と笑いながら振り返る。

新卒でWebディレクターとして入社後、着実に技術や経験を重ねていたが、リーマンショックの煽りを受け、止むを得ず転職することになった。1年ほど知人の会社を手伝った後は、医療系Webサイトの開発会社に入社。一貫してWebディレクターとしての経験を積んでいったが、突如、「ハント症候群」という難病を発症した。三半規管の神経が損傷し、耳が聞こえなくなり、味覚もなくなり、顔面も麻痺(まひ)する、そのうえ、視界がぐるぐるまわって立っていることもできなくなり、休職を余儀なくされた。

宮田がそんな会社員生活を送っていたころ、世の中はGREEやDeNAの成長がめざましいタイミングでもあった。

「自分もIT業界に身を置いていながら、業界の最先端で活躍しているキラキラした人たちを斜に見ていたんです。でも、実は誰よりも強く“自分も何か大きなことがしたい”という願望を抱いていて、それを成就させられなくて、くすぶっていました」

「ハント症候群」を克服してなんとか仕事に復帰できる状態になったが、会社に戻るべきか否か、宮田は生活を見つめ直した。社会の状況も不安定で、自分の健康も失うという体験を経て、会社に属するよりも独立したほうがいいのかもしれないという思いがよぎったのだ。

「何よりも強かったのは、自分の代表作をつくりたいという思い。プロダクトを開発し、提供するには人を集めて会社をつくったほうが早い。それで、起業を決意しました。何人もの友人に声をかけて唯一誘いにのってくれたのが、当時、企業で金融システムのスペシャリストとして活躍していた内藤研介(現・取締役 副社長 CIO)でした。彼も実力があったので、独立して勝負したいという思いがあったのです」

二度の失敗、
廃業の覚悟で臨んだ三作目

かくして、13年1月に宮田は内藤とともに起業した。早速、プロダクトの開発を手掛けたものの、1作目、2作目と不発に終わっていった。起業から2年近くが経ち、このまま経営を続けていくのも厳しい状態だった。もしひとりで続けていたら、会社をたたんでいたかもしれない、と宮田は話す。「何かひとつでもいいから成功させないと、と踏ん張ることができたのは、内藤がいたから。企業から引き抜いてきた以上は、何かしら彼に、“独立してよかった”と思えるものを残したかったのです」

さらに、二度の失敗の原因を、宮田こう分析する。

「はじめは、世の中のニーズを見ていなかったんです。こんなのがあったら便利だろうな、という自分の想像だけでつくっていた。そんな僕たちに対して、ある人が『社会の人がどんなことに困っていて、何を求めているか調査してからプロダクトをつくるべき』とアドバイスをくれて、やっと、『ユーザーヒアリング』の必要性に気がつきました」

「ユーザーヒアリング」が
成功の鍵に

次がダメだったらもう会社をたたもう、と腹をくくって臨んだのが、15年11月のベンチャーキャピタルのスタートアップ企業支援プログラムだった。これは、資金援助を受けるかわりに3カ月後までに何らかの結果を出さなくてはいけない、というもの。その緊張感で、自分たちにさらに追い込みをかけた。

このプログラムで発表するために、10あまりのアイデアを出しては検証した。そして最後に閃いたのが、「SmartHR」だった。宮田の妻が産休に入るために、職場の人事労務の手続きに苦労している姿がヒントになった。思い返せば、宮田自身がハント病を発症して病気療養したときには、社会保険のおかげで休職中も生活に困らずに済んだのだった。企業で働く人にとってなくてはならない機能でありながら、手続きに手間がかかって煩わされている。この分野の課題を解決するサービスは、きっとたくさんの人のニーズがあるはず、と気づいたのだ。

宮田はスタートアップ企業支援プログラムのデモデイにこの原案で挑んだ。80社以上参加の予選を勝ち抜き、デモデイでは100人規模のベンチャーキャピタリスト達が集まる会場でプレゼンし、優勝した。この時点ではアイデアとプレゼンテーションしかなかった。通常、それだけでは優勝は難しい。そこでまずは「SmartHR」のティザーサイトを公開し、Facebookで人事担当者に向けて2万円だけ広告を出した。すると、わずか2週間で140社が集まった。デモデイでは、ビジネスのアイデアだけでなく、この数値が高く評価された。

「やはりこの分野はニーズが高いのだと確信しました。さらに登録してくれた140社にどんな機能があると嬉しいかヒアリングをしたところ、社会保険、雇用保険の手続きのニーズが高いことがわかりました。最初にそこに絞ってシステムを組んだことも功を奏したのだと思います」

以来、いまに至るまで、「SmartHR」の人事労務で手間がかかっている部分や、ユーザーから寄せられる声をヒントにしながら、新機能の開発を続けている。

『SmartHR』がここまで成長したいま、あらためてアントレプレナーとしての自身の熱源は何か、宮田に聞いた。

「僕の原動力となっているのは、『歴史に残るプロダクトをつくりたい』という思い。次の目標は、このプロダクトをさらに洗練させて、社会インフラにしていくことです。具体的な目安もあります。それは、LINEや東京ガスのような時価総額1兆円以上の会社のなかにSmartHRが並んでいても違和感がないくらい、人々の生活になくてはならないプロダクトを提供している会社として世に認知されることです」

株式会社SmartHR

本社/東京都港区六本木3-2-1 住友不動産六本木グランドタワー 39F
https://smarthr.jp/
従業員数/315名(2020年11月時点)

SmartHR 代表取締役 CEO 宮田昇始

宮田昇始◎1984年、熊本県生まれ。大学卒業後、複数のIT企業でWebディレクターとして活躍。2013年、自社サービスの運営と受託開発を行うKUFUを設立。15年11月にクラウド人事労務ソフト「SmartHR」提供開始。17年、社名をSmartHRに変更。19年、初の地方拠点となる関西支社を開設し、20年には九州・東海にも支店を増やした。

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text by Ayano Yoshida / photograph by Shuji Goto / edit by Akio Takashiro