創業100周年を目前にして
「佐々木家家族憲章」を制定
佐々木茂喜が代表取締役社長を務めるオタフクホールディングスは、お多福グループを束ねる持株会社だ。国内に5つ、海外に3つの事業会社でグループは成り立っている。収益の柱であるオタフクソースの歴史を遡ると、1922年に酒や醤油類の卸小売業として広島市で創業した「佐々木商店」に辿り着く。あと2年で100周年を迎える老舗である。
佐々木茂喜は、創業者・佐々木清一の孫にあたる。2代目社長の父が早逝し、3人の叔父が社長業を引き継いでいくなかで、一貫して生産や営業の現場で働き、2005年にオタフクソースの6代目社長に就任した。ファミリービジネスとして起業した会社が100周年の節目を超えて、200周年への歩みを確実なものとするために、13年から推進してきたのが「家族憲章」の制定だという。
「私は、オタフクソースの社長に就任したときに『10年でやめる』と公言しました。退任の期限であった15年を前にして、創業者から数えて第3世代となる従兄弟8人で議論を重ねました。事業はうまくいっていますし、ファミリーでケンカしていたわけでもないのですが、『転ばぬ先の杖』として家族憲章が必要だと感じていたのです」
結果として、「従兄弟8人の家族を『八家』として、株主も入社できる人数も1家族から1人ずつに絞る」ことなどを柱にした「佐々木家家族憲章」が15年に制定された。佐々木は公言通り、オタフクソースの社長を退き、09年から兼任してきたオタフクホールディングスの社長に専任、65歳まで務め上げる。
「50年先、佐々木家の人間はねずみ算式に増え、会社が佐々木姓ばかりになりかねません。そういった会社が永続的に発展していけるとは思えないのです。佐々木家家族憲章には、『株は八家が均等にもつ』『多数決で決議しない(全員が納得するまで議論)』『グループ企業の取締役会の半数以上を佐々木家出身者以外とする』『65歳で現役を退き、顧問、相談役に就任』といった取り決めがあります。第3世代から第4世代への事業承継という短期的視点ではなく、世代を超えた事業永続の観点からさまざまなリスクを具体的に想定し、創業家のメンバーが守るべきルールや行動規範を定めています」
この憲章は時代の要請に沿った内容を維持していく必要があるため、5年ごとに改定される。20年が最初の改定年となり、新たな憲章策定に向けた作業は、取材時(10月28日)に大詰めの段階を迎えていた。
「『因縁因果と孫子3代先のことを考えろ』が、祖父の口癖でした。いまのオタフクソースがあるのは、創業者が私たち孫世代のことまで考えてくれていたおかげです。いまは、私たちの世代が、これから先の孫子3代のことを考えて行動を起こさなければなりません」
人本位の考え方を念頭に
「日本的経営」の真髄へ
もちろん、家族憲章によって創業家が一丸となるだけで事業永続がかなうわけではない。「佐々木家家族憲章」はファミリービジネスに潜むリスクを回避し、社会的信頼のベースになると同時に、社員からの信頼と満足度向上にも寄与している。また、社員との向き合い方において、佐々木は「日本的経営」の利点を挙げる。
「日本的経営の本質は、人本位であることでしょう。物件があるから、予算があるから投資しようと考えるのではなく、『この事業をするためにはどういう人が必要なのか』というところから始めないといけません。まずは、人づくりです。『人と競って、人を押しのけて』というマインドで行動する利己的な人間は、当社にはそぐわないと考えています。そのことは、すでに社員一人ひとりが理解してくれているでしょう。お互いの存在や価値観を認め合いながら、『忘己利他(もうこりた)』の志をもって動ける人間が当社には必要なのです」
さらには、「風を通し、血を通わす」のが大事であると、佐々木は語る。
「常に社内の風通しをよくしておかないといけませんし、いくら仕組みや決まりをつくったとしても、そこに温かい血が通ってないと社内で共有することはできません」
平和への願いを忘れず、
「いい会社」を未来永劫に
人類史上初の惨禍に見舞われた広島で、お好み焼は戦後間もなく屋台で提供され始めた。戦災で夫を亡くした女性は、家族を養うために自宅の土間を改装して、お好み焼店を開業した。広島が復興していく過程において、一度は完全に打ちひしがれた人々のお腹と心を満たし、現在まで命をつないでくれたソウルフードがお好み焼だ。
佐々木商店の建物も45年8月6日に焼失している。その焼け野原から立ち上がり、お好み焼用のソースを発売したのは52年のことだった。「我々はモノ売りではなく、コト売りを行ってきました」という創業者の孫の言葉にも特別な想いが込もる。ソースというモノを売るだけでなく、家族でお好み焼を食べるというコトを全国に広めるのがオタフクソース全社員のモチベーションであった。
「うまいけぇ、お好み焼食べてみんさい!」という一心で、佐々木を含めた社員たちは日本中のスーパーに出向いてお好み焼をつくり、試食販売を重ねてきた。いま、主力商品のお好みソースは、全国のスーパーなど小売店の約85%で取り扱われている。
「私たちは、全国展開する際にテレビCMなどの広告を打ってきませんでした。非効率ではあったかも知れませんが、お客様と直接コミュニケーションすることによって、地道にファンをつくってきました」
創業以来、近年のバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災といった景気後退の局面でさえも前年比を割ることなく、オタフクソースは常に右肩上がりで成長を遂げてきた。13年には米国と中国で、16年からはマレーシアにおいても新たに工場が稼働している。
事業承継ならぬ事業永続を目指して奮闘してきた佐々木に対し、最後に「自身のアントレプレナーとしての熱源はどこにあるのか」と尋ねてみた。
「約20年前から私が経営者として尊敬しているのは、国内No.1の寒天メーカーである伊那食品工業の塚越寛さんです。『いい会社をつくりましょう』が、伊那食品工業の社是になります。この言葉は、15年前に私がオタフクソースの社長になったときの所信表明にも使わせていただきました。ここでいう『いい会社』とは、人々が日常会話のなかで『いい会社だね』と言ってくれるような会社のことです。例えば、社員の奥さんがお子さんを連れて公園デビューした際に『ご主人は、どこに勤めているの?』と聞かれ、『オタフクソースです』と答えたとき、『いい会社だね』と言ってもらえるのが理想です。そういう『いい会社』をつくりたいとの想いが私の熱源であり、創業者の血を受け継ぐ佐々木家と全社員が一丸となって未来永劫に『いい会社』であってほしいと願っています」
オタフクホールディングス株式会社
本社/広島県広島市西区商工センター7丁目4-27
TEL/082-277-7112
URL/https://www.otafuku.co.jp
連結従業員数/620名(20年10月時点)
佐々木茂喜◎1959年、広島県生まれ。オタフクソースの工場でアルバイトしながら地元の大学に通い、卒業後に入社し13年間工場勤務。94年から大阪支店長、98年から東京支店長を歴任し、営業本部長、生産本部長を経て、2005年にオタフクソースの社長に就任。09年、持株会社移行に伴い、オタフクホールディングス代表取締役社長を兼任。15年から現職に専任。
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text by Kiyoto Kuniryo photograph by Shuji Goto edit by Akio Takashiro