デジタル庁は教訓を生かせるか DX後進国の日本が歩む3つのシナリオ

Toshi Sasaki/Getty Images


日本では、PCR検査や医療・介護現場でのアナログ対応が、医師や看護師などの本来業務外に負荷がかかり、行政も民間もハンコ決済のために関係者が出勤し、特別定額給付金交付業務や申請手続きも遅々として進まず、駆け込みでマイナンバーカードを申請するも、オンライン申請がパンクする始末で、在宅勤務にシフトしても肝心の情報機器や通信容量が不足し、そもそもマネジメントができない等々、正直申し上げて珍喜劇の様相を世界に露呈した。

情報化投資に対する「誤解」


この日本の遅れの背景には、情報化・DX自体が目的化し、あるいは単なるお題目の用語として使用され、なぜ(WHY)、何のために(for WHAT)DXするのかを明確に議論してこなかったツケが来ている。

デジタル化が遅れた分水嶺は、1980年代まで遡る。

当時頻繁に使用されていた言葉、それは「情報化社会」だった。農業、工業の文明期を経て、次は情報の時代だという未来論として語られていた。当時、米国はスタグフレーションに苦しみ、国内経済は厳しく、一方で、日本は「Japan as No.1」と称されたように、自動車産業や電子産業が世界市場をリードしていた。

情報化社会が進めば進むほどさらに国際競争力を持つ、そのようなポジションに日本はいたはずだった。そして、そのバラ色の未来を導くのが、電子機器開発への設備投資という名の情報化投資だった。

しかし、あっという間に日米の状況は逆転する。1990年代に入り、情報化投資に対する両国の捉え方に決定的な違いが生まれる。

日本は、引き続き電子産業を中心に電子機器などの要素技術開発や情報システム投資の維持更新に経営資源を充て、国もいわゆる設備投資の金額の多寡で、国際競争力の比較を行っていた。

一方、1995年にマイクロソフトが発売したWindows95で象徴されるように、米国は、情報化がもたらす無形の価値に着目し、個々の端末・システムを通じた様々なイノベーションを起こした。以降、GAFAの例を出すまでもなく、いまでは圧倒的な差、しかもプラットフォーマーを持つものと持たざる者の違いを生んでいる。
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文=蛭間芳樹

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