不確実で不安定なものこそ面白い──舘ひろし流「感性」の生かし方

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「もっと遊ばないと」


「いまどきの若いヤツはダメだみたいなことを、僕は言いたくない。だって年を取ってもダメなヤツはいっぱいいるわけです。若い人に対しても敬意を持てる大人でいたい」

1950年生まれの自分たちの世代は、いろいろな意味でラッキーだったとも舘さんは語っていました。

「上の世代は、戦争直後で食べることで精一杯だったのだと思うんです。食べ物に飢えていた世代です。戦前の古い価値観を拭い去ることもできなかった。でも僕たちは、食べ物は十分にあった。むしろ、文化に飢えていたのだと思うんです。

10代の後半から洋服に興味を持ち、海の向こうの文化にも接した。お洒落に楽しめるバーやレストランも次々にできた。感性を磨くことと経済の成長がきちんとリンクしていて、物心両面の豊かさを求めていた」

しかし、そのバランスが崩れ、社会はどんどんシステマティックになり、かつては大事にされていた感受性や懐の深さのようなものが、どんどん失われていった。これが、経済的な行き詰まり感にもつながっていったのだと。

「人間は弱くて危ういものだと思うんです。でも、社会は無言のうちに効率や完璧さを求めるようになっている。だから、みんなが息苦しくなる。もっと遊ばないと、ですよ」

不確実なもの、不安定なものをこそ、楽しいと考えないといけないとも舘さんはいいます。

「僕が面白いと思うものはたいてい不確実で不安定なんです。ゴルフは思い通りにいくことなんてないし、ラグビーはあの楕円のボールがそもそも不安定でしょ。人は揺れているもののほうが気になるんですよ。不安定なものこそ見たがる。じっとしている人形よりも、ヤシジロベエが気になる。ハラハラするサーカスを観る。ジェームズ・ディーンに惹かれるのは、いつも芝居が揺れているからです」

変化やリスクを楽しんでこそ人生、欠けているものがあってこそ人ではないかと言うのです。

「無駄に思えることを、もっとやってみるべきだと思うんです。それが予想外の刺激を生んでくれたりする。例えば、家に花を飾る。そうすると、花を飾るにふさわしい空間ができ、そこにゆとりが生まれる。一見無駄に見える、遊びへの飢えと感覚を、これからもずっと持ち続ければ、面白い人生を送れると思う」

筆者が舘さんを取材したのは、八王子の乗馬クラブでした。当時、舘さんは63歳でしたが、20代の頃と変わらないという体型で、颯爽と馬に乗る姿は鮮烈でした。ただし、目的はあくまでスポーツ感覚で楽しむため。「仕事のために、なんて気持ちはさらさらない」という言葉が印象的でした。

もっともっと毎日を楽しまないと。それが、舘さんからのいちばんのメッセージに思えました。

連載:上阪徹の名言百出
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文=上阪 徹

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