ドンキにCのないC.C.レモンを。本気の「エソラゴト」が人を動かす


deleteCのバリュー(大切にする価値観)の中には、「エソラゴトを、本気でカタチにする」というものがあります。ここまで書いてきたことは、最初はすべて、ただのエソラゴトでした。妄想や妄言に近いレベルだったと思います。「大切な会社名やブランド名からCを消すなんてできっこない」「莫大なコストがかかり、高度な専門知識も求められるがんの治療研究の支援に、ド素人が向き合うのは無謀だ」。たぶん、それは“おおむね”正しい意見だろうと思います。

でも、2年前、中島ナオが僕に言った「がんを治せる病気にしたい」という言葉は、“100%”正しいと思ったんですね。それは、間違いなく全人類が望んでいることです。それなのに、その正しいことをでっかい声で言う人はあまりいなかった。

もちろん、医師でもない、製薬会社の人間でもない、一患者である中島ナオが堂々とその言葉を口にするのは、結構勇気がいることだったと思います。だって自分自身が何年も治療を受けながら、たくさん調べて、様々な先生にもお話を聞きながら、がん治療研究の進歩も難しさも肌身に感じていたと思いますから。だからこそ、それでも口にした言葉に、僕は胸のすくような思いがしました。「いいじゃん、そのでっかいエソラゴト!」と。

エソラゴトには、人を惹きつける力があります。そもそも人類ってエソラゴトを描きながら進歩してきたんですよね。空を飛びたいとか、月に行きたいとか、すべての情報にアクセスしたいなぁとか。聞くだけでワクワクするじゃないですか。でも、この時めちゃくちゃ大切なのが、エソラゴトの解像度だと思っています。

ただ、「空を飛びたいなぁ」だけでは、まだまだ解像度が低すぎます。「まぁ、飛べたらいいけど」で終わってしまう。そこに「空飛ぶ機械の絵」や「精緻な設計図」があってはじめて「お、いけるかも……」となるわけです。ここで言う「絵」や「設計図」のことを、僕はアイデアと呼んでいるのですが、このアイデアがユニークであればあるほど、また解像度が高ければ高いほど、たくさんの人がエソラゴトにリアリティを感じ、熱狂してくれると思っています。

ドンキにCのないC.C.レモンを


名刺を見てdeleteCの仕組みを思いついたあとに、僕の頭の中でぶわーっと一気に描かれた絵は、「Cの消されたC.C.レモンがドン・キホーテに並んでいて、それを手に取る自分」という風景でした。

がんの治療研究への寄付と聞くと、ちょっと距離を感じてしまうかもしれませんが、近所の店に並ぶ商品を買うだけでいいとすれば、それはずいぶんとお気楽な感じがするし、がんの治療研究との距離がぐっと縮まっている状態といえそうです。「ドンキにCのないC.C.レモン」。この風景が描けた時に、自分の中で「これはアイデアになった!」という確かな手ごたえを感じましたし、まずは自分自身がとにかくその風景を見てみたいと思いました。

ここまでくれば、あとは仲間と一緒にえっちらおっちらカタチにしていくだけです。丁寧に丁寧に下絵を描いて、そこに色をぬっていく作業です。その過程は楽しくもあるし、ときに頭を抱えて立ち止まることもあります。そんな時には、みんなで最初に描いた「絵」の話をします。「あー、そうだったそうだった。ドンキにCのないC.C.レモンね」という感じで。



繰り返しになりますが、エソラゴトには人を惹きつける力があります。そして、ユニークで解像度の高いエソラゴトには、人を突き動かす力があります。もちろんコロナ禍にあって、そんなの描く余裕なんてないよ……ということがあるかもしれません。でも、こんな時だからエソラゴトを描いたほうがいいと思うんです。

コロナによって、僕たちの暮らしの風景はたくさん書き換えられました。よくなったことも進んだこともありますが、この受動的、強制的に書き換えられていく感じが嫌だなというか、もっと主体的に、未来の風景を選ばせておくれよ、作らせておくれよって思うんです。

だから、僕はこれからもエソラゴトをばんばん描きまくって、どんどんカタチにしていきたいと思います。deleteCに関していえば、まずは来年2月4日にあるWorld Cancer Day(世界対がんデー)に向けて動き出しています。僕たちがどんなエソラゴトを描いて、カタチにしようとしているのか。あと100日を切って焦っていますが、それはどうぞお楽しみに。

文=小国士朗

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