人々をつなぐ「橋」としての美術。スクリプカリウ落合安奈が描く夢 #30UNDER30

(c)Kotetsu Nakazato


──美術家という仕事を通じて、一番何をしたいですか。

私がさまざまな国を訪れるなかで見聞きし、感じてきた「差別」や「偏見」、それに「自分事」や「他人事」といった普段は意識しない区別を、人々が作品を見ることで気づくきっかけがもたらせたらいいなと思っています。

私の作品では、人々の「見えないつながり」を視覚化するものが多いです。見えないけれどつながっている。その事実を知ることで、他人と思っていた人が、実は身内だとも言えたり、自分の一部とも考えたりすることができます。そこに気づけば、意識的なものも、無意識的なものも含めて差別や偏見をやめたり、考え直したりすることになるんじゃないかと。

日本におけるミックスルーツやさまざまなマイノリティを巡る問題は、まだまだ解決していません。自分が幼少期に受けた体験と同じことが、いまだにいろんなところで繰り返されていたり、もっとひどいことが起きていたり。日本にいろんなルーツを持った人々が暮らしているのが、あまりにも知られていないことで起こる問題が多いです。自分がこういう仕事をしていくことで、何か発信したり、伝えていったり、話し合いの場をつくったり、そういう役割を担いたいとずっと思っています。


『mirrors』。墨と白いアクリル絵具で描かれたサルのシリーズは、霊長類を取材して撮影した 写真を元に絵を描いている。鑑賞者と正面から見つめ合い、心の奥底を覗き込むような視線。「取材中に、彼らから絵のままの眼差しを受けることもあれば、仲間じゃないものを見ている目線を感じることもあります。描くときには、鑑賞者の心理状態によって 受け取り方が日々変化するような眼差しや表情を捉えて、キャンバスに定着させています」

自分自身、美術に出会っていなかったら、こんなに自分のルーツと向き合えていないと思います。自分と向き合うことは、苦しみや痛みが伴うこともあるので。

作品としてアウトプットを持っていると、自分のなかで苦しむだけじゃなく、他の方々からさまざまな反応や意見をもらうことで、どんどん知識や経験も広がっていきます。美術と出会ったことで、自分自身が拡張されていく感覚をすごく感じられているんです。

私の場合には美術がありましたが、何か自分のなかに溜まって、膨らんでいったものに穴を開けられるようなものを持っていない場合、すごく苦しいと思うんです。もしいま、苦しんでいる人がいたら、私のように作品を通して向き合ったり社会とつながっていく方法もあるということを、ひとつの例として提示できたらいいなと思いますね。

──お母さんが写真を撮られていたことで、創作に影響はありましたか?

逆に、写真表現を避けている時期がありましたね。親がやっていることはあまりやりたくないというのは、結構、共感する人が多いと思うんですけど(笑)。

親子間で表現を教えてもらうことは、結構、難しいと思います。カメラの扱いは覚えが悪いと怒られたりとか(苦笑)。もちろん、親が写真家であったことで、家に写真集があって、それを小さいときから見るということはあったんですけど。ちょっと避けていたことで、写真に触れるのに遠回りしちゃったな、という感じはあります。


『明滅する輪郭(Outline to flicker)』。古いモノクローム写真の中の人物たちが時間や距離を超えて私たちとも呼吸で繋がっていることを示す作品は、2015年からシリーズとして制作。人物の口元がビニールで覆われ、コロナを巡る現状を連想させてドキリとする。「呼吸による見えないつながりという、これまであまり意識しなかったものを見えるようにする作品でした。いま、そのつながり自体に人々はおびえているけれど、新型コロナウイルスがそこにない状態であれば、逆にポジティブに考えられるものだと思います」
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インタビュー・構成=神吉 弘邦(Hirokuni Kanki)

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