レイ・イナモト、僕が30歳を過ぎて知った「20代に贈りたい言葉」 #30UNDER30

レイ・イナモト


アメリカの大学に通ってはいたもの、ビジネス英語は堪能ではない。本人曰く「中途半端にしか話せなかった」状態で百戦錬磨のライバルたちと闘っていけるのか、周囲の高い技術に自分の力は通用するのかと不足を感じてばかりだった。

ただ、実績がないこと、自信がないことも当然のこととして受け入れることができたのは、当時の強みだったのだろう。

イナモトはクリエイティブに関連する企業やオフィスに履歴書を送り続け、やがて大手広告代理店「R/GA」に就職する。ここでデザイナーとして働きながら、友人と4人で複業として「トロニックスタジオ」という活動を始める。

イナモトともうひとりがデザイナー、そしてあと2人は建築が専門。ここで、2次元と3次元を意識した、空間のコンセプトと平面のコンセプトの融合や、フィジカルな感覚とデジタルの感覚の融合ということを追求していたという。

ナイキへのプレゼンで気づいたこと


大きな転機は2001年、20代のときに訪れた。ナイキが専属のデジタルエージェンシーを探しており、R/GAもプレゼンに参加することになったが、当時退職したばかりのクリエイティブディレクターの後任がいなかった。そこで「たまたま」、イナモトがプレゼンを担当することになる。

「当時はまだ20代で、プレゼンの場数も踏んでいませんでしたが、この時期に企業へのプレゼンをすることを頭において仕事をしていて、新しい考え方が生まれてきたんです。それは、デザインという言語を知らない人にデザインというものを、また新しいアイディアというものをどうやってプレゼンテーションするか、ということでした。

デザイナーの意識だと、これがクールです、とかこれがカッコいいんです、という視点になりがちだったのですが、デザインは手段でありビジネスと言う世界でのデザインの大切さと強さをわかってもらう、ということを意識するようになりました」

イナモトは「30 UNDER 30 JAPAN」受賞者として、現代美術家のスクリプカリウ落合安奈を推薦している。もともと美術を専攻していたこともあり、純粋なアートをやりたいという思いもあるという。

「落合さんの作品の数と表現する幅が素晴らしい」と、リスペクトと若干の羨ましさを抱きながらの選出だったという。

視覚や五感に対して絵や造形で表現する点ではアートにもデザインにも多くの共通項があるが、イナモトが考えるサステナブルなビジネスとしてのデザインは、あくまでもビジネスという世界における手段として成り立っている。

その価値をいかに異業種の言語を持つ人々に伝えるのかが重要だ。イナモトが自身の転換点として、自身の作品への評価ではなく、社会におけるデザインが超えていくべきことへの気付きを挙げたことは興味深い。そして、イナモトにとって大きな意味を持つ出来事もその後に起きる。
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文=青山 鼓 写真=木下智央

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