ビジネス

2020.10.28

村松竜が語る「伸びる起業家」の条件 #30UNDER30

GMOペイメントゲートウェイ取締役副社長 村松竜

当時未成熟だった日本のベンチャー投資市場で1990年代後半から活動し、自らも20代でネット決済サービス企業を設立するなど、日本におけるスタートアップの勃興を見届けてきた、GMOペイメントゲートウェイ取締役副社長の村松竜。

彼がファウンディングパートナーを務めるGMOベンチャーパートナーズは、メルカリを筆頭にマネーフォワード、ユーザベース、ラクスル、Sansan、Chatworkなど錚々たるベンチャー企業に投資し、その投資先がマザーズ時価総額ランキング上位20位のうち20%を占める(2020年10月13日時点)など、日本のスタートアップシーンを資本面で牽引する存在となっている。

村松自身は20代の頃、どんな環境で働き、どんな経験を積んでいたのだろうか。今年、「30 UNDER 30 JAPAN」のアドバイザーとして参画した彼に、自身のUNDER30時代を振り返りながら、挑戦する若者に向けてメッセージをもらった。



若者だから「オトナにはよくわからないこと」をやれる


90年代後半からスタートアップ投資を行なっている私にとっては、これほど高校生や大学生の起業が珍しくなくなったのには、感慨深いものがあります。今はサーバーはクラウドで、コーディング不要の開発ツールもある。起業に準備すべき資金のバーが大幅に下がっています。

こうしたテクノロジーの端境期に、若者が“オトナにはよく分からないことをやる”のは、ビジネスにおける成功の鉄則です。思い返せば私も、まさにそうでした。

JAFCOに入社したのは1994年。アメリカでWebブラウザのNetscapeが誕生し、翌年にはWindows95がリリースされ、まさに「インターネット元年」でした。

上司には「なんでワケの分からない会社に投資するんだ」と言われ、先輩からも「俺よく分からないから、お前に任せるわ」と一任される。「しめた!」と思いました。年代の上の上司や先輩にはインターネットの価値、未来が分からないのだと。

とはいえ、入社から数年は“ドブ板営業”的な仕事と地道に向き合ってもいました。インターネットが普及する前の時代ですから、リストの端から端まで企業の代表電話にかけて、自ら社長面談のアポイントを獲得する日々。ひたすら単調な作業をいかに人の数倍の量とスピードでやるか、そのためのモチベーションをいかに保つか。同期数人と有望企業発掘件数を競争するなどもしていました。

飛び込み訪問していきなり社長面談するなんてことはざらでしたが、変わったやつだと起業家が起業家を紹介してくれたりと、結果的に人脈が飛躍的に広がって行きました。

おそらく今、当時の私と同年代の人からすれば、「そんなの意味あるの?」「電話とか無駄でしょ」と感じるでしょう。

けれどもそんな活動から、熊谷さん(熊谷正寿 GMOインターネット 代表取締役会長兼社長 グループ代表)との出会いと彼への投資が生まれ、2年後の日本初のインターネットスタートアップの上場という歴史に繋がったのですから、単調なタスクでも工夫し普通の数倍の熱量で行えば並外れた成果に繋がるのだと感じます。
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構成=大矢幸世

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