デジタル生活が「陰と陽」のアナザーストーリーを生み出す

会議室を使ったリアルでの会議は、リモートが一般化すると意味合いが変わってくる(Unsplash)

毎日の生活はぶつ切りの「点」の連続ではなく、点と点がつながるストーリーが隠されている。そんな話をしたい。

まず、コロナ禍に経験した完全リモートワーク生活によって、デジタルの新しい可能性が見えてきた。それは仕事の生産性と自由度を高め、私生活にも充実をもたらした。リモートワークは、時間と場所の壁を超えて、人生の可能性を広げてくれる。

しかしその反面、リモートワークの限界も知り、リアルの大切さも実感した。対面した場合には感じることができていた相手の雰囲気や場の空気感を、リモートでは感じることができない。やはり人間は、五感を通して感じる生き物であり、大事な場面ほど実際に会うことが重要だと痛感した。

リモートワークの「伏線」、リアルの「山場」


私は半年間の完全リモートワーク生活の後、リアルでの活動を段階的に再開していく中で、その貴重さをふつふつと感じるようになった。

全社員が集まって半年ぶりに社内で会議をしたときのこと。今までのリモート会議でも、仕事上の情報伝達という意味では特に不都合を感じたことはなかったが、音声や映像だけでは伝わらない社員達の表情や空気感を感じて、私は少し高揚した気持ちになった。社員達も私の話に熱心に耳を傾け、何が重要なのか、何を言わんとしているのかを肌で感じているようだった。会議が終わるころには、社員全員に以前とは比べものならない一体感が生まれていたように思う。

私生活でも同じような高揚感を体験をした。夏休みに家族で奥多摩へとドライブにいったときのこと。久しぶりに自然と触れ合い、川で釣りをして、山歩きを楽しんだ。ディスプレイ越しには伝わらない、川の水の冷たさや森林の空気のおいしさを五感で堪能した。自然のなかで一瞬一瞬を大切にするこの感覚は、子どもの頃の「出会うものすべてが新鮮」という感覚にも似ていた。

リモートワーク生活の後に感じた、この高揚するような感覚とは何だったのだろうか。確かに、人や自然と接することで、単にリモートでは得られない空気感を感じたという部分も小さくない。しかしそれだけではなく、きっとリモート生活を続けてきたことで、私自身の感覚がある種の枯渇状態に陥り、非常に研ぎ澄まされていたことが、この感覚の大きな原因なのではないかと考えるようになった。

クライアントに会って気がついた感覚の違い


このことをハッキリと確信したのは、商談中のクライアントを実際に訪問した時のことだ。完全リモートワークをしていたときに、知人の紹介で知り合って、商談へと進展した会社だ。

受付の方に会議室へと通してもらうと、そこには既に数名が座っていた。そのうちの殆どは、既にリモートワークを通して知り合いだ。

「こんにちは! やっとお会いできましたね!」。初対面であるにもかかわらず、旧友との久しぶりの再会のような感覚で、笑顔の名刺交換。またその雰囲気を感じた社長が「はじめまして。いつもうちの〇〇が大変お世話になりありがとうございます」と挨拶をする。さらに、リモートでは既に顔見知りの部長が「鈴木さん、実際にお会いすると、ちょっと雰囲気が違いますね」と続ける。

彼らは全員初めてお会いする方々だが、リモートワークを通して知り合いになっておけば、自然と場の雰囲気は和やかになる。また、仮にリモート時の印象とギャップがあったとしても、それはそれで話に花を咲かせる結果となるのだ。ちょっとしたストーリーの高揚感だ。
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文=鈴木康弘

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