素行不良だった僕が、今や会社をデザインする立場に。試行錯誤を繰り返して手に入れたマネジメント手法

多くの人はキャリアのなかで、いつか誰かの上司になる。

まず、こんな壁にぶち当たるのではないだろうか。「自分の思うようには動いてくれない」と。

部下を指導して成果を出す難しさは、多数の人が感じているはずだ。社会人の先輩達はこのミッションをいかに乗り越えてきたのだろうか。

本記事では、音声配信プラットフォームを運営するVoicyの人事責任者、勝村泰久氏の悪戦苦闘っぷりを紹介しよう。

新卒時代は遅刻の常習犯、業務中にパチンコに出かけることもあった勝村氏。業績だけはピカイチだったため、同期のなかでいち早くリーダー職に抜擢され、20代後半には社内最年少で経営職に就いた。その後HRに職種を変え、現在はベンチャー企業の人事責任者を務めている。

素行不良の会社員は、いかにして事業を牽引するマネジメント人材に成長したのか。当時から現在までのエピソードをうかがった。


嫌いだけれど好きでもある、感情を動かされた上司を「物差し」に


思い出すのも恥ずかしいのですが、入社直後の僕は、遅刻は週に2回、交通費を遊びに使い込んで原付で出勤するような人間でした。

けれど、当時の上司に背筋を正された。この時の経験が、僕を一人前の社会人へと成長させてくれました。

その上司は優秀なビジネスパーソンを絵に描いたような人で、業績はよくクライアントからの信頼も厚い、仕事のできる男性です。指導は非常に厳しく、褒めてもらったことは数えるほどしかありません。今では恩師と思っていますが、追い詰められて半ば鬱状態になったこともあります。

それでも成果を残そうと部署で僕だけKPIを達成しましたが、上司は「当然でしょう」と言い放ちます。加えてリーマン・ショックが起きました。不況下の企業は採用コストを減らしてしまう。

頑張っても売れない状況と上司からのプレッシャーで、当時は毎朝吐き気で目が覚めました。

ただ、とても厳しい上司でしたが、不思議と嫌いになれなかったんです。

いっときは「一生恨んでやる」とまで思っていましたが、彼はいつも本音で話してくれるし、決して他責にしない人でした。

僕の結果が出ない時は常に「私の指導力がないから」と上司に言っていましたし、僕やチームの指導に全ての時間を割いて、個人の業務は深夜に進めていた。顧客目線に立ち、仕事を通してサプライズを与える大切さも彼に教わりました。

今では僕もマネジメントをする側になりましたが、彼の背中はことあるごとに思い出します。

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文=鈴木雅矩

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