ニーマン・マーカスCEOの事例から考える、「リーダーのEQ」

ニーマン・マーカスのジェフロイ・ヴァン・ラムドンクCEO(左、Getty Images)


たしかに、自分の労働の成果を楽しみ、良い暮らしを送るのは、まったく悪いことではない。もっと言えば、新型コロナウイルスから得た教訓があるとするならそれは、「人生は貴重なものだから、楽しまなければいけない」というものだろう。

おまけに、外出にあまりにも多くのリスクがつきまとうこのご時世では、自宅はまさに聖域、安全な隠れ場所になっている。多くの人にとって、自宅はいまや職場でもあり、この先も永久にそれが続くかもしれない。したがって、繰り返しになるが、満足のいく快適な自宅が重要であることに疑問を差し挟む人はいないだろう。

だが、それをいまこの時期に、あからさまに誇示するのは、大きな判断の誤りだ。これは、心の知能指数が低いがゆえの誤りと言えるだろう。ニーマン・マーカスは5月に、破産法第11条に基づく会社更生手続きを申請した。9月末に破産法適用下から脱した同社は、現在レイオフに着手している。苦しい時期としか言いようのない状況だ。

富を自慢することは、景気が最高に良い時であっても、問題視される可能性がある。しかし、自社の従業員が職を失い、自社が破産法適用から抜け出そうとしているときにそれをするのは、無神経の見本のように見える。

もうひとつ考慮すべき要素は、破産法適用から脱出しようとしているこの時期における、ニーマン・マーカスの全体的なメッセージ発信とコミュニケーション戦略だ。同社が、顧客やサプライヤー、市場の信頼を回復させることはきわめて重要だ。そのためには、戦略にひたすら集中し、将来の成長と成功に向けて事業を再建する必要がある。そこから反れることはするべきではない。ましてや、CEOの富と個人的財産に注目を集めるようなことは、絶対にするべきではない。

もちろん、富と成功は悪いものではなく、責められるべきものではまったくない。だが、上級幹部というものは、とりわけ自社が困難を抱えているときには、自分が何を代表し、何を体現しているのかを意識していなければならない。どこのCEOであれ、従業員への気配りは、昨今では交渉の余地のない必須事項になっている。

タイミングがすべて、とはよく言われる。このケースでは、ほとんどの人が夢見ることしかできない家を、雑誌が見開きで紹介したにすぎない。だが、ニーマン・マーカスとその業界、そして世界の置かれている状況を考えれば、持てる者と持たざる者との格差に注目を集めないようにしたほうがいいだろう。少なくとも、いまのところは。

翻訳=梅田智世/ガリレオ

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